今こそ米流「グローバリズム」を放逐し対米従属から脱しよう

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今こそ米流「グローバリズム」を放逐し対米従属から脱しよう


愛媛大学   細川隆雄


「グローバリズム」という概念をどのように理解するかはさまざまだが、問題は「グローバリズム」という概念が「価値観の押し付け」をふくみもつという点だ。「グローバリズム」には一種の普遍主義が含まれる。国あるいは地域を越えた、地球規模のグローバルスタンダード・ルールが含まれる。「イズム」というからには、そこには「価値観」が含意される。往々にしてそのルールが他の国にくらべてより正しいということが含意される。それぞれの国・地域が本来的にもっている伝統的なルール・慣習は捨て去って、グローバルなルールに従えということが含意される。


「グローバリズム」はひとつの概念にすぎない。「概念」が一般の日常生活にマスメディアに乗って頻繁に登場し、わたしたちの意識や行動に影響を及ぼすようになるということは、その背後には隠された形で、「概念」を強力に意図的に情報発信する「何者か」がいるからだ。そうすることによって、その何者かは利益をえることになる。「グローバリズム」という概念は自然発生的に生まれたものではなく、意図的につくりだされたものだということである。


特定の国が自らの利益誘導のために大きなコストをかけて戦略的に情報発信することで、「グローバルスタンダード」なる世界的なルール・価値形成を図っているのだ。特定の国とは、今日的世界にあっては、アメリカという国だ。アメリカの戦略は「グローバルスタンダード」を錦の御旗に、「国際的ヒエラルキー」のなかに各国を、アメリカ自身に都合のいいように取り込もうとしてきたのだ。戦略的目的を実現するためには手段が必要だが、手段とは剣とペンである。剣とは軍事力であり、ペンとは情報発信力である。


 1982年に、国際捕鯨委員会(IWC)本会議は商業捕鯨モラトリアムの議案を米国の意向に沿って採決したのだが(米国はでたらめな鯨絶滅説を情報発信するとともに、鯨を環境保護のシンボルに祭り上げ、反捕鯨は世界の世論だというムードをつくり、鯨とは無関係な言いなりになる国をIWCに引き込んで採択した)、モラトリアムという言葉が示すように、この決議は一時凍結であって永久禁止ではない。すなわち正確には「遅くても1990年までに鯨類資源に与える影響の包括的評価をおこなうとともに、修正および他の捕獲頭数の設定を検討」との条件付採択であった。


日本はこの点を信じて、IWCの規約にしたがって合法的に、調査捕鯨を開始したが、調査捕鯨にたいしても中止の圧力がかけ続けられている。相手の立場を考えない大国の一方主義・御都合主義によって、国際機関が操られ、立場の弱い地域の人々の生活権(捕鯨関係者の生活の術)が奪われてよいものか。そもそもIWCは「捕鯨産業の秩序ある発展」を実現することを目的として戦後、米英がつくった国際機関なのだ。


1982年以降、IWCは米欧諸国に乗っ取られ、会の規約に明記されている「捕鯨産業の秩序ある発展」という会の設立目的から逸脱し、反捕鯨の組織に変質し、もはや正常に機能していない。商業捕鯨再開に向けての日本の提案は否決されつづけている。日本の商業捕鯨再開の提案を否決するなら、IWCは会の規約を変えるべきであろう。日本の我慢にもほどがある。2009年のチリ・サンチャゴでのIWC総会において日本は、IWC脱退をも視野に入れて、アメリカに対して一矢を報いるべきであろう。


アメリカは1982年にIWCに商業捕鯨モラトリアム(一時凍結)案を提出し、「鯨資源を守り地球環境を守る」という錦の御旗のもとに、多数派工作によって日本などの反対を押し切って採決したが、日本はIWCのルールに則って、直ちに異議申し立てをし、商業捕鯨を続けた。すべての鯨種に対する包括的モラトリアムは非科学的なもので、アメリカの提案は筋が通るものではなかったからだ。すくなくともミンク鯨の資源量は十分にあった。日本の抵抗に対して、「資源・環境問題」で世界を仕切ろうとするアメリカは黙っていなかった。


パックウッド・マグナソン法、ペリー修正法等、国内法で日本に圧力をかけた。P・M法の内容は、IWCの決定に従わない国にたいしては、アメリカの200海里内から締め出すというもので、北東太平洋でスケソウダラ漁を展開する日本に対するあからさまな報復国内法であった。そもそもIWC創設のさい、規約に、異議申し立て権つまりは拒否権の条項を明記することに強くこだわったのは、ほかならぬアメリカ自身であった。拒否権の利用はけしからんと、日米貿易摩擦が激化するなかで、貿易制限をもリンクさせて、日本に圧力をかけつづけた。


アメリカの経済的地位をおびやかし経済大国として台頭する日本をたたくことも、アメリカが商業捕鯨禁止にこだわる理由のひとつであった。アメリカにとっての捕鯨問題は様々な面(たとえば工業製品の通商摩擦)で日本を譲歩させるための重要なカードでもあった。捕鯨問題で反日運動が盛り上がり、日本製品が打ち壊され日本の国旗が焼かれるたびに、日本政府はびくびくした。「日本異質論」の声が欧米であがるたびに日本の政財界はおどおどした。二者択一を迫られた日本政府は捕鯨業を犠牲にし、アメリカ200海里内の日本のスケソウダラ漁を守るために、異議申し立てを撤回した。しかし結局、アメリカは200海里内からも日本を締め出した。日本は煮え湯を飲まされたのである。


 いわゆるグローバル化があらゆる面において進行するなかで、過剰なグローバル化の進行にたいして、なんらかの歯止めがほしいものである。マクドナルド、コカコーラ等のアメリカの食品多国籍企業が世界を席捲している状況は人々にとってはたしてベターな状況なのか。それぞれの国々、それぞれの地域には、それぞれの気候・風土に合った食生活、食文化があっていいはずである。ヒト、モノ、カネ、情報が日常的に飛び交う今日において、グローバル化を全面否定するわけにはいかないが、バランス感覚がほしいものである。


グローバル化が進行するなかで、日本の食料自給率は低下し、日本の農林水産業は歯止めなき後退を余儀なくされている。水産業のひとつの部門である日本の捕鯨業も、さまざまな要因が絡み合って、衰退の一途にある。輸入食料品が氾濫し、鳥インフルエンザ、BSE等、食の安全が脅かされる中、食育教育の必要性が高まる今日だが、伝統的魚食国家である日本は鯨を含めて海産物資源のさらなる利用を政策的に推し進めていく必要がある。日本は海洋立国だという点を忘れてはならない。


イラク介入の失敗、サブプライム問題、金融危機、自動車産業ビッグ3崩壊の危機、等々のなかで、超大国アメリカの世界支配にかげりが見える。国際政治のさまざまな面において、ロシア、EU、中国がアメリカの言うことを聞かなくなった。あからさまに対立する場面さえ見られる。今まで日本が押し付けられてきた米流金融モデル・企業統治モデルは瓦解しつある。今こそ日本は対米従属から脱出すべきである。