工藤美代子 『 母宮貞明皇后とその時代 』

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紹 介:


   工藤美代子 『 母宮貞明皇后とその時代 』

       ( 中央公論新社、2007.7.1 )  1900円+税



  貞明皇后は、大正天皇のお妃であり、昭和天皇の母君です。


  大正天皇については、原 武史の 『 大正天皇 』 ( 朝日選書、2000.11.25 ) がありますが、御病弱であった大正天皇の自由闊達さを紹介したのはいいとして、その自由闊達さと 「 弱さを忌避して 」 、第一次大戦で帝政・王政が軒並み倒れるなかで君主制を守ろうとした牧野伸顯を初めとする宮内官僚が、 「 強い天皇 」 を求めて 「 押し込めた 」 ( 251頁 ) とする奇怪な論を立てていて、戴けません。

  大正天皇については、古川隆久 『 大正天皇 』 ( 吉川弘文館、2007.8.1 ) が妥当な記述をしています。


  さて、工藤美代子の本書には、 「 三笠宮両殿下が語る思い出 」 という副題がついています。それが示す通り、貞明皇后の四人の男子 ( 昭和天皇・秩父宮雍仁親王・高松宮宣仁親王・三笠宮崇仁親王 ) の末っ子夫婦へのインタヴューを軸にして組み立てた貞明皇后の伝記です。


  貞明皇后は 「 気性の激しい性格 」 で 「 怖がられた 」 とされたり ( 小田部雄次 『 四代の天皇と女性たち 』 文春新書、平成14.10.20, 141頁 ) 、 「 戦争についてあれこれ意見を述べ、終戦直前の混乱期にも蔭でその権力を発揮したかのように書くもの 」 があったり ( 工藤美代子 244頁 ) しますが、本書から浮かび上がるのは、 「 たおやかに、しみじみとした人情をお持ちで、周囲の人々に細やかな心遣いをする女性らしい皇后 」 のお姿です。

  貞明皇后は 「 気丈でお勁いだけの女性ではなかった。豊かな情感が溢れ、広い温かいお気持ちの方だった 」 ( 243頁 ) 。


  さて、御歳42で御夫君大正天皇の崩御に遭われた貞明皇后は、昭和26年、67歳で急死されるまで、激動の大正・昭和時代を雄々しく生き抜かれます。

  本書を通じて、貞明皇太后の 「 日本女性の偉大なる先達 」 「 敗戦という未曾有の出来事に直面しても、皇太后は微動だにせず、しっかりと足を大地につけて、新生日本へと 」 生き抜いて行かれたお姿を拝することができます。


  貞明皇太后は、手づから蚕を飼われ、蚕糸業の奨励をされたほか、ハンセン氏病の予防と治療に貢献されました。各地の灯台職員の慰問を心がけられたことも有名です。何よりも、あの困難な時代にあって、無私のこころで日本国家のため、皇室のため献身されたのです。その経緯は、本書の対談を通じて、読者にひしひしと伝わってきます。


  ところで、私が本書を紹介したい焦点は、本書の帯にある 「 兄宮昭和天皇は孤独で寂しかった 」 という點、そして三人の弟宮と昭和天皇の関係です。

  これが、昭和史の動乱と関係してくるのです。


  私は、昭和の敗戦・大日本帝国の滅亡は、輔弼の失敗にあったと考えているのですが、その一つの問題點が、 「 情報、天皇に達せず 」 です。


  二二六事件の時は秩父宮が情報を昭和天皇に伝えようとしてうまく行かず、天皇は一方的に青年將校を断罪される結果になりました。

  大東亜戦争でも、実情がなかなか天皇に伝わらず、本書によれば海軍軍令部に居られた高松宮が何度か天皇に実情を伝えようとされますが、天皇は 「 責任を持たぬ皇族の政治的意見は聞かない 」 と、頑なに意見聴取を拒まれて 「 喧嘩 」 になります。

  高松宮が、昭和19.7.8の日記に曰く ( 本書 183頁に引用あり ) 、


  陛下ノ御性質上、組織ガ動イテヰルトキハ邪ナコトガオ嫌ヒナレバ筋ヲ通スト云フ潔癖ハ長所デイラツシヤルガ、組織ガソノ本当ノ作用ヲシナクナツタトキハ、ドウニモナラヌ短所トナツテシマフ。今後ノ難局ニハ最モソノ短所ガ大キク害ヲナスト心配サレルノデ、サウシタトキノ御心構ヘナリ御処置ニツキ今カラオ考ヘヲ正シ準備ヲスル要アリ。


  天皇は宮中に閉じ込められた形なので、どんな情報が誰を通じて齎されるかが極めて重要なのですが、ここに問題があったことを、本書を通じても窺えるのです。


  最後に、本書の一大特徴は、これを通じて宮中の事情が、とくにその生活ぶりがよく判ることです。

  工藤美代子が貞明皇后のことを調べる手始めに 「 御歌 」 を読むことから始めたという話 ( 246頁 ) は、天皇家と和歌の関わりの深さを感じさせます。

  明治天皇を知る最善の道は、明治天皇の御歌を知ることです。

  しかし明治天皇や貞明皇后に限らず、歴代の天皇皇后は実に膨大な御歌を詠んでおられます。

  日本の天皇が 「 美 」 「 芸術 」 と深い因縁があることが、ここからも偲ばれます。


( 平成20.6.21記 )