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紹介:



C.W.ニコル『マザー・ツリー:母なる樹の物語』

        (静山社、2007.11.14)


 二つの動機で本書を読みました。

 一つ:ニコルの小説は、『勇魚』シリーズで惚れ込んで以来、愛読の対象である。

 二つ:3月9日(日)の三碓会(伊原ゼミ勉強会)のテーマ「森と木の文明・美と慈悲の文明」の参考文献になるから。


 主人公は黒い大石 (達磨石)とミズナラの木 (サラの樹) です。木が年代を経て大樹になり、多くの命を育むという物語です。

 石も木も話しますが、これが童話的擬人化ではない。

 万物に佛性が宿るとする自然観に由来します。

 そして話は戦国期の信玄・謙信のいくさに始まります。


 山人の女の子ツキが村に来てからの話が印象的です。雀蜂に刺された馬が暴れ出し、手がつけられなくなった時、12歳のツキが馬に話しかけ、おとなしくなった馬の後足から蜂の毒を吸い出してやります。

 村人は驚嘆しました。

 ──あの子は、獣と話ができるらしい。

 牛や猫も皆、ツキの所に寄って来るぞ。

 家の軒下に巣をつくっていた燕がツキの手から餌を貰った。

 いやいや、裏山の雉鳩が貰っているのを見たぞ──


 ツキは、いろんなことが予知できます。

 「あの爺さんは、心の臓が弱っているから、畑仕事を休むように言って」

 「隣のおばさんは何か悩んでいるよ」

 ほかにも、今年の鮭はいつ川に上って来るとか、大雨がいつ降るとか。


 村人は、こんなツキを恐れ、敬遠するようになります。

 挙句の果に、「狐憑き」として村八分になりかけます。

 ツキの一大事!


 村八分は、村の和尚の機転で「水垢離」をし、水を嫌う狐ではないことを証明して、何とか村に留まれました。

 しかしツキは、ものを言わなくなりました。言うとまた、狐憑きと怖がられるからです。

 寂しい思いを、ツキはミズナラの樹 (サラの樹) の傍で過ごしてはらしました。

 ツキは樹とも対話できるのです。樹だけではありません。達磨岩とも、です。


 ツキが去ったあと、達磨岩とサラの樹が話しあいます。

 「サラよ、あの子を助けてやってくれ。あの力は、却ってあの子を幸せにせぬかも知れん」

 「私にとって、言葉の通じた初めての人間です。それなのに、ツキの心は悲しみで一杯です」

 「不憫なことだ。じゃが、もともと人間は、ツキのようにわしらと心を通わせておったのだがな……。人は皆、山と森の子供じゃった。だが、ほかの人間は皆忘れてしまった」

 「屋根の下で暮し、夜空を眺めて星の光を浴びなくなると、人間は変るのでしょう」


 そう、人間は、人工環境に閉じ籠もり、万物と心を通わせなくなって久しいのです。

 特に工業時代がいけない。何も彼も「人工物」で代替しようとする。

 堤防でずたずたにされ、荒れる川の話が本書にも登場します。


 そして、あろうことか、万物を育てはぐくむサラの老木が、市長と結託した開発会社のチェーン・ソーで伐られかけるのです。あわや、というところで……


 あとは、ご自分でお読み下さい。

 読後感がこれほど清々しい本はちょっと例がありません。


 蛇足:表紙の字「マザーツリー」が筆で書いたと思しき字ですが、「ツ」も「リ」も、ノが上から下へでなく、下から上へ撥ねています。これはおかしい。



 表紙の下に「表紙画・挿画・題字 片岡鶴太郎」とありますから、片岡さんの字のようですが、片仮名の筆順も知らずに題字を書くとは、何とまあ大胆な!

(平成20.2.7)