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読書紹介:



       百々 和『自分史回想』

              (文藝社、2007.11.15) 1,400円+税


 大学院の後輩ではあるものの、人生では大先輩である百々さんの回想録です。

 感銘深く、教わるところの多い貴重な本なので、ここに紹介します。


 百々さんは大正8年(1919年) 生れ、滿洲の新京に創設された建国大学の第一期生です。大東亜戦争末期に召集を受け、戦後閻錫山が割拠する山西で残留日本軍の一員として中共軍と闘う破目になり、中共軍に抑留されて長い年月を獄中で過ごし、昭和31年 (1956年) 夏、やっと帰国しました。この空白を埋めるべく神戸大学にまず聴講生となって再学習を試み、昭和32年 (1957年) に神戸大学大学院経済学研究科の修士課程に入学して、昭和29年 (1954年) に入学していた私(昭和5年/1930年生れ) の「後輩」になりました。

 昭和35年 (1960年) には新設の龍谷大学経済学部 (翌年認可) に務め、4年間同僚でした。


 発刊の趣旨が、冒頭に述べられています (以下、一言一句正確な引用ではなく、適宜省略・加筆をして、自由に引用します) 。

 「昭和という動乱の時代に生きて、たまたま生き残った者が過去の体験について語り残しておきたいと思うのは世の常であり、義務でもある」(3頁)


 そうなんですね。歴史には多くの襞があり、無数の些事が絡っています。それが後世になかなか伝わらない。ですから、できるだけ多くの人が自分の体験を書き残しておくのは、確かに「義務」と言っていい作業です。


 「偉い人の自伝は多いが、平凡な人の自分史は書かれることが尠い。しかし歴史を動かしているのは、現場に於ける多数の平凡な人々の働きによることが多い。生きた歴史を知るには、歴史の現場に居た者が語っておく必要がある」(4頁)


 全く「その通り」です。以下、百々さんが体験した「現代史の現場」(5頁) をすこし辿ってみましょう。


 百々さんの人生の 4段階:


 第一段階:神戸の須磨に生れ、神戸二中 2年次末まで日本で暮らした幼少期の14年間


 第二段階:父の商売の都合で大連に移住し、大連二中→建國大學→大同學院と進学・卒業して滿洲重工業傘下の撫順軽金屬製造會社に勤務した青年期の11年間


 第三段階:関東軍自動車輜重隊に入営し、軍の教育を受けたあと敗戦を迎え、山西軍 (蒋介石中央軍の第二戦区軍) に徴用され、残留して中国内戦に捲込まれ、捕虜となる動乱の12年間


 第四段階:神戸大学で再勉強し、研究者・教育者として暮らした43年間


 さて、以下はいくつか、私の目にとまった注目点を紹介して、皆さんの読書欲をそそるに留めます。


 百々さんが学んだ建國大學は、民族協和を国是とする滿洲國の人材養成機関で、関東軍が設立しました。百々さんはその一期生です。定員 150名。実際の入学者は、日系75名 (うち台湾人学生 3名)・滿系50名 (漢族・滿族・回族)・残り25名 (朝鮮族10名・蒙古族 7名・白系露人 5名)。

 講義は午前中だけで午後は各種訓練のための実科の時間で、軍事訓練・農業・各種武道・乗馬・グライダーなどをやり、実習のための滿洲各地への旅行も行われたそうです。

 民族が混じり合って共同生活し、5年半を一緒に暮らしたので、その影響は計り知れないと百々さんは書きます。


 百々さんは、軍と建國大學に共通する欠点として「反教養主義」を指摘します。

 百々さん曰く、語学・哲学(思想)・社会科学などが中心になる教養主義的教育 (私は、教養の中核は伝記と歴史と芸術だと心得ています。人間+情操です) は、抽象的一般論が中核だが、「会社・軍隊・抑留生活で役立ったのはこの抽象的一般理論の教養であったと今や自信を深めている」と (27頁)。

 だから百々さんは学生にこう説きます。

 「企業に直接役立つようなことは、給料を貰いながらやれ。大学で学費を出して勉強するのは、すぐには役立たないが、いつかは必要になる教養だ」


 井上成美が海兵校長時代に教養科目を重視し、「戦争で強くて悪いことをしないのは、教養の高い人間だ」と言っていたそうです。百々さんは自分の戦争体験に照らして、「強くて悪いことをする兵隊」「悪いことはしないが強くない兵隊」を多く見てきたと言い、戦争の正義を認識した場合、教養の高い人間が「強くて悪いことをしない立派な軍人」になる、と書いています (28頁) 。


 建國大學の優れていた点として、百々さんは「国際主義」と「民族への注目」を挙げます。この二つは日本人の弱いところですね。「国際化」をいう戦後の今も、弱いままです。「国際化」を唱える日本の大学が、教授陣に外国人を雇うことに消極的だし、特に事務職員に外国人を雇おうとしない。「島国根性」がなお強いのです。


 建國大學で合気道の修練に励んだ百々さんは、合理主義の限界に気付きます (34頁以下) 。

 私も青年時代は合理主義者でしたが、やがき気付きました。合理主義とは、限られた枠内でしか通用しないと。一軒の家は施主と設計者が智慧を絞って快適に生活できるよう設計しますが、使ってみると必ず、使い勝手の悪いところが出てきます。一軒の家でさえそうなのに、一国の運営が合理的にできる筈がない。計画経済の社会主義が破綻するのは、人間が万能の存在ではない、人間の頭脳は無限に対応できないことから自明のことであった筈です。理性万能の啓蒙時代が終って久しい19世紀に社会主義思想が出現し、20世紀に地球の半分を捲込んで「実験」されたのは、人が狂気に動かされる存在である証拠ですね。


 「守・破・離」という言葉で「型」を学び、かつそれを突き抜ける大切さを説いている箇所 (35頁以下) も注目に値します。 日本の戦後教育は「個性の伸長」を謳しましたが、「型」の習得、つまりは基礎訓練を軽視したので、我が儘好き勝手をのさばらせただけで終りました。


 滿洲國を「王同楽土の建設」「民族協和の実現」とかいうのは「虚像」であって、日本の対ソ国防拠点の構築・植民地政策の対象というのが「実像」だという指摘はその通りでしょう。しかし虚像に夢を託して熱を帯びるというのは、まぎれもない人間の一面です。この両者は「一体」ワンセットで機能していたと私は理解しています。


 戦争は人間に、人間性を喪失させる、これは戦勝国も戦敗国も変らない、「残虐行為は戦敗国・戦勝国を問わず、徹底的に糾明し反省すべし」 (53頁) というのはその通りです。第二次大戦で米国を初めとする戦勝国は「善玉」、日獨など戦敗国は「悪玉」とされましたし、今またイラクが悪玉とされていますが、真っ白と真っ黒に分けるのはおかしい。米軍もアウシュヴィッツそこのけの残虐を南太平洋でやったことは、チャールズ・リンドバーグが日記 (邦訳あり) に明記するところです。


 「日本人は『敵』を徹底的に憎めない」心優しい人達だという指摘 (55頁) も大事です。日本海軍は留めを刺さず、だから簡単に反撃されました。

 私達が属する草食民族は、北方の肉食民族に比べ、優しいのです。肉食民族の英人は、阿片戦争の罪を詫びることなく香港を去りましたが、草食民族の日本人は、肉食民族の中国人から未だに「侵略戦争を反省せよ」と迫られています。ここは、「彼を知り、己を知って」対応する必要があります。


 さて、紹介すべき大事な箇所はまだまだありますが、長くなり過ぎてはこの紹介の文章が読みにくくなりますから、この辺で「あとは直接お読み下さい」ということにします。


 一つ、百々さんの思い違いを指摘しておきます。 104-105頁に 2箇所、王實味を「女性」としています。これは「男性」の誤りです。百々さんは多分、同じ時期に延安に行っていた女性作家丁玲と混同したのではないかと思います。

(平成20.1.20)