李登輝インタビュー ( 台灣 『 壹週刊 』 2007年2月1日号,28〜34頁 ) :

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2007. 1.29


李登輝インタビュー ( 台灣 『 壹週刊 』 2007年2月1日号,28〜34頁 ) :

見出し=棄台獨 引中資/專訪李登輝:我想訪問大陸 ( 台独を棄て、中国資本を台湾に導入せよ/李登輝インタヴュー 「 私は大陸を訪問したい 」 ) 。前総統李登輝はずっと 「 台独教父 」 ( 台湾独立のゴッドファーザー ) 視されてきた。だが1.29, 李登輝は本誌の取材を受けて初めて 「 私は台独教父ではない 」 と公言し、統独論争は台湾で既に 「 無意味な題目 」 となり、青緑両陣営の闘争の具に堕したと語った。彼はこう強調する、 「 私はこれまで台独を主張したことなどない。台独追求の必要も認めていない 」 。4時間に亘る取材中、李登輝はこうも洩らした。中国大陸には彼の訪問を望む者が大勢居る。行けるなら、五千年前 ( 伊原注:孔子は紀元前 551〜479年の人だから 「 二千五百年前 」 の間違い ) に孔子が諸国を巡った足跡を訪ねてみたいと。李登輝は重ねて自分の統独・両岸問題に対する新見解を開陳したほか、陳水扁を 「 嘘つき 」 「 今や黒金そのもの 」 と評し、返す刀で馬英九は 「 胆っ玉なく、気力不足 」 と切って捨てた。


 昨年12. の 台北・高雄市長選で弟子に当る台聯が大敗したため、前総統李登輝の国内政界に対する影響力が衰えてきたと見られた。だがその後 2ヶ月経たぬうちに、彼は元総統府秘書長黄昆輝を台聯黨主席の後継者に据え、台聯黨を近く改組して中間左派路線を採り、党名も 「 台灣民主社会黨 」 に変えて出直すという。


大陸へ行きたいが、実現は容易でない

1.29午後、李登輝は翠山莊の自宅で本誌の取材に応じた。近年来、世間が 「 台独教父 」 と見てきた李登輝は今回初めて、実は大陸の多くの団体や個人から大陸を見に来るよう誘われていると洩らし、できれば大陸へ赴き、五千年前に孔子が諸国を周遊した足跡を辿ってみたいものだと言った。彼は 「 大陸へ行けば捕まるかって? まさかと思うがねえ! 」 と ジョークを飛ばした。

李登輝曰く、出エジプト記 のルート・シルクロード・孔子の足跡や 日本の奥の細道は、世界でも有名だ。こんな道程を 「 一生に一度でいいから辿って感想を書留めたいね 」 。これらの道程は、彼が所蔵する日本語の蔵書の中に写真入りで紹介してあるので、 「 孔子が周遊した諸国のルート に 私は 詳しいよ 」

大陸を訪問するには、84歳になる身体の具合のほかに、他の諸々の現実的な考慮が要ると李登輝はいう。 「 今や大陸へは大勢出かけているが、個人の権力のために大陸へ行く気はないね 」


台独を否認し、中国資本を誘い込めと説く

李登輝は本誌の取材中、世間の 「 李登輝は反中国 」 という印象を大きく覆した。統独に対する立場を彼はこう明言した。 「 私は台独じゃないよ。これまで台独を主張したこともない 」 。両岸関係ではこうも言った。大胆に中国資本に台湾投資を開放すべきだ。大陸の観光客もどんどん台湾に来て貰えばいい。 「 大陸から来る者が全員特務じゃあるまいし 」

統独問題・両岸問題のほかに、李登輝は両岸の政治指導者について品定めをした。陳水扁にはずばり 「 嘘つき 」 と直言。国民党主席馬英九は指導者としては 「 肝っ玉なし、気迫が足りぬ 」 。12年間やり合った対岸の指導者江沢民は 「 口数多く、成果は僅か 」 。現行指導者胡錦濤は 「 口数少なく、黙々と仕事をこなしている 」

国民党の名誉主席連戦については直接言及せず。政務委員をした時、連戦の父親連震東と同室だったと回顧し、 「 この台湾人は官界遊泳術がうまくて、私も見習うところがあったよ 」 と苦笑した。

本誌が、貴方の総統時代に世間は黒金政治と批判しましたねと訊いたところ、彼は反問した。 「 黒金は当時と今と、どちらが酷いかね? 今の方がずっと酷いよ 」

「 国家安全機密帳簿 」 を持出すと彼曰く、 「 実は国家安全に機密帳簿などないんだよ。帳簿は全て明々白々なんだ 」 。こう言って、陳水扁がこれと国務機密費を同列に論じているのを斥けた。


統独問題はおよそ無意味

李登輝は台湾の生き残りを頗る憂慮している。青と緑の泥仕合が民衆にとんだ迷惑を及ぼしているからだ。 「 早期解決を迫られている 」 危機だと。彼は話の中で、黄昆輝が改組する 「 台灣民主社会黨 」 が果す中間勢力結集に期待を表明した。但し同時に自分も政界大御所の地位に留まり、両岸関係及び年末の立法委員選挙・2008年の総統大選で影響力を保つつもりのようだ。

 李登輝は 取材が始ると直ぐ、世間が彼を 「 台独の教父 」 と見做している点について反論した。 「 多くの人が私を 『 台独の教父 』 というが、李登輝言論集25冊のどこに台独を強調した箇所があるかね? 」 。台独に言及した箇所も、台湾の民主化が主な関心事なんだよと。

  「 台独を追求する必要などない。台湾は事実上、既に主権独立国なんだから 」 。李登輝は執政当局が今なお 「 台独 」 を持出すことに反対なのだ。 「 台独追求は後退だし、危険な手だ。こんな一手は、台湾をまだ独立していない国に引ずりおろして台湾の主体性を損なう上、米国や大陸側と悶着を起こす種になる 」

 李登輝は率直にこう言う。民進党は 「 台湾独立追求 」 という架空の問題を造り出している。国民党は 「 反台独 」 の大旗を掲げる。だが実は青緑とも統独問題を利用しているだけだ。 「 毎日統独を口にするが、これは全て嘘、権力闘争を演じているだけだ 」 。李登輝曰く、 「 今や台湾の民主化は停滞しっ放しだ。猫も杓子も闘争に夢中、可哀相なは庶民ばかりという構図だ 」


台湾新憲法、票集めの騙し業

  「 国民党は外来政権だ 」 と言ったことはあるがと、李登輝は取材中、初めて強調した。 「 所謂 『 外来政権 』 はもうない。今や 『 台湾主体意識 』 の問題しかない。 『 本土 』 問題ももうない 」 「 外省人・台湾人もない。台湾に族群問題はないのだ 」

 両岸関係について、李登輝はちゃんと 「 特殊な国と国の関係 」 と言ったのに、 「 二国論 」 と省略され、 「 台独 」 主張とまで曲解された。これを李登輝ははっきりさせた。 「 私は二国論など唱えていない。私は 『 特殊な国と国の関係 』 と言ったのであって、これが台独主張など、とんでもない言掛りだ 」

 李登輝はいう、国際法上、台湾の主権の位置付けは 「 過去に判例のない、はっきりしない状況 」 だった。だから蔡英文を英国に派遣して 9名の国際法の専門家に教えを請うた。 「 一体、台湾は国家なのか? 」 。その結果、半数が イエス、半数が ノーだった。そこで台湾と大陸の二つの政治実体間の特殊な関係を説明して、インタヴュー を受けた時に 「 特殊な国と国の関係 」 と説明したのだと。

彼曰く、台湾は 遥か昔から主権が独立している。現在の重点は、いかにして台湾の国家を正常化するかにある。例えば、憲法第四条の国家の固有領域を修正するには、憲法改正か国民投票かによって解決せねばならんが、現在は殆どやれぬ状態にある。民進党は 「 言うこととすることは別 」 で、憲法改正は成立条件が高すぎて手に負えず、国民投票も頗る難しい。 「 それでもなお 『 新憲法をつくる 』 と言っている。これは庶民をたぶらかすものだ 」


討議の場がなく、両岸問題は解決難

 李登輝は、両岸に目下、意思疏通の場が全然ない状況を心底懸念している。彼曰く、総統時代、私は両岸の疏通を制度化するため、国統会 ( 国家統一委員会 ) を設立し、国統綱領 ( 国家統一綱領 ) を制定した。これで双方は交流し始めた。その後、綱領に基づき大陸委員会と海基會 ( 海峡交流基金会 ) を作って意思疏通の場にした。辜汪会談でも両岸対話を進めた。 「 これは両岸の最も通りの良い場だった 」

だが政権交代後、交流が滞った。 「 今、両岸には交流の場が全然ない。communication できていない。以前は政府間交流が密接だったのに、今は民間が自己負担で緊密に交流しているだけだ 」

2001年以降、両岸はもっと具合の良い疏通の場 「 世界貿易機構 」 WTO が 使えるようになった。例えばタオル・タイルなどの反ダンピングは WTOで話し合える。 「 ところが執政党はこの場を利用せず、中国の役人を怖がっているように見える。こんなことで台湾人民の生存機会が確保できる筈がない 」

両岸に討議の場がなく、これが庶民の経済生活に悪影響を与えている。李登輝曰く、私の総統時代12年に、両岸の政治と経済の相互作用はかなり安定していた。経済成長率は最低 7〜8% あり、 「 庶民はこの12年間にうんと儲けた 」 。だが両岸の討議が途絶えて 「 庶民は儲からなくなり、12年間に溜めた金を使い出した 」


積極開放政策で金は戻って来ない

 現実の両岸政策の方向について、李登輝はこう批判する。民進党政府が採用した 「 積極開放 」 政策は 「 出る一方で、還って来ない 」 「 しかも政府の政策はどんどん変る。積極開放したかと思うと積極管理に変った。あほらしい! 」 「 全台湾が桶の水みたいに流れ出し、入って来ない。これで庶民が生活できますかっていうんだ 」

李登輝曰く、私が打ち出した 「 急がず、我慢強く 」 は大陸と縁を断つことではない。経済は双方向のものなのに、民進党は一方通行に変えてしまった。台湾が中国経済に過度に依存して不均衡となった今、足が抜けなくなっている。 「 中国との経済貿易の均衡失墜は、改めて検討せねばならない。資金・人材・技術の一方的流出は二度とやってはならない。寧ろ中国資金の導入を考えたらよい 」

彼は香港を例に出す。香港は1997年に主権を移したあと、経済が傾いた。だが2003年、04年に中港関係が改善し、大量の大陸観光客が香港に来て物を食べ、物を買い、株式も香港で上場するようになって香港経済は改善した。

かくて李登輝はこう主張する。もっと大胆に中国資本に台湾市場を開放し、大陸人民にも台湾観光に誘えばよい。 「 大陸から来る者全てが特務ではない! 肝っ玉がなくて何がやれようか。台湾を彼らに開放して消費させれば、台湾を世界の有名ブランドが集まる場所にすればよい 」


江沢民を批判し、胡錦濤を褒める

李登輝の中国に対する態度が批判から開放に変ったことが、中国の現指導者胡錦濤への評価に反映した。彼曰く、胡錦濤は水利工学を学んだ技術者だから、かなり実務的だという。 「 口数少なく、無駄話せず、黙々とやる 」 「 対台統戦工作はソフトで ( 江沢民のような ) 強引極まるやり方はしない。これで台湾人民を抱込む作戦だ 」 。江沢民とは違う。江沢民は 「 口数多く、仕事が少ない 」 。 「 『 江八点 』 で江沢民は何をした? 何もやってない。脅しただけだ 」

李登輝は分析する。胡錦濤は 2008年の北京オリンピックと 2010年の上海万博を抱えており、それまで台湾に極端な手段がとれない。だが 「 2012年に胡錦濤は交代する。その後継者がどう出てくるかは判らんが、その時、両岸に対話の場がないと頗る危うい事態となる 」 。李登輝はいう、 「 今は2008年に就任する台湾新総統が素早く対話のパイプ と 場をつくるよう祈るしかない 」

内政の経済政策では、李登輝はこう指摘した。執政当局は目下、経済政策に方向がないから、投資者には新規投資先が見つからない。 「 現在、銀行に資金がだぶつき、一千万元、二千万元を銀行に預けに行っても要らんと断られる。台湾には投資の機会も方向もないからだ 」

彼曰く、実は台湾は材料 と バイオテクノロジー方面で能力を発揮する余地が大きいのだと。例えば彼の母校コーネル大学に李登輝の名で設立したナノ研究所がある。政府も投資すれば株主になれるが、利用の仕方が判らず、利用しかねている。彼はこう強調する。政府は新しく産業投資奨励法を制定して台湾の企業家が中国大陸で儲けた利潤を台湾に戻せば、台湾の庶民生活は改善できるのだと。

李登輝は蒋經國時代に、国内の石油化学工業の下流の工場建設と整理を監督したことがある。だから石化産業にも詳しい。例えば、台プラの六軽に以前、政府が20万トンの用水を供給した。今は80万トン用水を使っているが、濁水溪ダムからほぼ全量を六軽に供給している。しかも値段が市価よりうんと安く、一般の水道代の 1/3 ほど。台プラは一年で数億元儲けている。 「 政府の支援で台プラはうんと儲けたのだから、今度は社会に還元してもいいんじゃないか 」


陳水扁は嘘つき、受けて立たない

内政に話が及ぶと、李登輝はいう、彼は去年3.以来、ひたすら台湾が現在直面する存亡の危機について考えた。青緑の激闘がやまぬ状況の下、彼は一縷の望みを寄せる。 「 今年から来年にかけて、中間勢力が出現するんじゃないか? 」 。彼は黄昆輝が引継いだ台聯に望みを繋ぎ、改組後、中間左派路線に移行し、台湾の新中間勢力にすることを夢見ている。

陳水扁を、李登輝は容赦なく批判した。 「 講 『 ( ロ豪 ) 哮仔 』 」 ( 台湾語=コン・ハウシャウ・エ で 「 嘘つき 」 ) だ、陳宋会談を批判されると、李登輝が提案したから宋楚瑜と会ったのだと言い逃れた。 「 非難されたら老人のせいにする。事実じゃないし、逃げの姿勢だ 」

李登輝は今や陳水扁と連絡がないことを否定しなかった。 「 彼は 『 三立 』 ケーブルテレビの インタヴューで 何やかや喋ったが、聴きたくもない話だった。人を寄越しても、私は取合わない 」 。本誌記者が陳水扁執政7年間の評価を求めたが、李登輝は 「 いや、いや 」 と答えなかった。


公義を堅持し、扁支持を拒否

 李登輝曰く、国務機密費案について、阿扁は機密外交だと弁解する。だが外交は総統とは関係があっても総統府とはおよそ無関係だ。どうして国務機密費が絡んでくるのか? 「 彼は初め、一審判決で有罪になれば辞任すると言っていたが、その後危ないとみると、任期を終えたら自己弁護すると言出した。現在彼はまた、機密外交の内情は死んでも言えんと言う。これで自己弁護などできるのか? 」

李登輝は、農学を学んでから総統になったこと言出した。 「 この背景のおかげで、細かいことまで承知していた。弁護士が法律の一条や二条、case by caseしか知らないのとは違うんだ 」 。この言葉は陳水扁に対する諷刺 ( 寸鉄人を刺す言葉 ) である。

李登輝は、自分と陳水扁とは違うという。 「 私には神がある。神の思し召しには背けない 」 。李登輝はこう漏らす。昨年倒扁旋風が捲起った時、長老教会の一部独立派の牧師が扁支持を公表したので、李登輝は家庭礼拝のあと、彼らにこう話した。 「 神の目には牧師も信者も皆同じ、生前真に公義の精神を維持したかどうか、死ぬ前に審判があるんだよ 」


肝っ玉のない馬英九は清潔と背伸びで媚びる

 国民党主席に就いたことのある李登輝は、2008年の総統大選に出馬が予想される中国国民党主席馬英九について、 「 馬は肝っ玉がない 」 と切って捨てる。 「 馬英九は最後まで堅持せねばならぬ時に、人に批判されるとふらつく。気力不足なんだが、これは何れ問題になるよ 」

李登輝曰く、 「 馬先生の長所は clean なんだけれども、余り背伸びせん方がいい。標準を上げると、あとで下げられず、進退窮まるからねえ 」 。こうも言う、 「 clean は当然やるべきこと。だが口を拭って知らん顔をした方がいい時もある 」 。李登輝はこう強調する。馬英九については、彼のやり口をもう少し観察しないと、立派な指導者になれるかどうか判定できないと。

李登輝は馬英九が 「 カリスマ の真似をし過ぎる 」 という。 「 総統になるのに、カリスマぶる必要なし。あんなテレビや 新聞には構わず、誠実に自分の仕事に打込み、誠実に庶民と相対すればよろしい。庶民に政治を語ればそれでいいんだ 」


蘇貞昌・謝長廷と会い、書物を贈る

 民進党の蘇貞昌・謝長廷らが頻々と彼の教えと支持を求めてやってくるという。李登輝曰く、 「 彼らは私に支持してほしいのだが、私は彼らを支持するとは言えないから、指導者の条件を言い聞かせるほかない。帰ってから読んで下さいと言って本を何冊か渡すんだ 」 。李登輝がいう新世代指導者の条件とは、国家観念があり、国家のため次の世代のため奮闘努力する心構えがあり、選挙の勝敗に一喜一憂しない人物である。だが新しい指導者に、こういう考えの人物が見当たらないのだ。

李登輝曰く、多年政治に携わってきたが、一番不満なのは、台湾が民主化してから、台湾人がどうも幸福感を感じていないらしいことである。執政当局が両岸危機を正視しないことについて、李登輝は冗談めかして曰く、 「 総統府の連続ドラマで 手に汗を握る場面が続くもんだから、両岸関係など見ている暇がないのだろうよ 」