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読書紹介:



関 静雄『ロンドン海軍条約成立史
──昭和動乱の序曲──』

(ミネルヴァ書房、2007.8.30) 7,500円+税


 昭和前期の「動乱」は、大正時代に種があります。岡田益吉のいう、「大正の間違い、昭和を殺す」です。大正の間違いは、大きく分けて二つあります。第一に、第一次大戦中に水増しされた経済の引締めに失敗して先送りしたこと。これで処理がおおごとになります。第二に、対英米協調外交の失敗です。

 第一の間違いについては以下を参照(岡田の二冊は同じ内容。題を変えて再版した)。


 岡田益吉『昭和のまちがい──新聞記者の昭和史』 (雪華社、昭和42.11.25)

   〃 『危ない昭和史 (上)──事件臨場記者の遺言』 (光人社、昭和56.4.7)

 高橋亀吉・森垣 淑『昭和金融恐慌史』(清明会出版部、昭和43.10.1/講談社学術文庫)


(1)政友会の財政垂流しの後始末をさせられた民政党の緊縮財政:遅れたため、傷が深くなる

 政友会の積極財政 (高橋財政) が第一次大戦の後始末で戦時インフレを引締めるべき戦後も強気一点張りで積極財政を貫きます。これが関東大震災→震災手形で戦時の水増し企業を生き延びさせ、整理が遅れに遅れて昭和の銀行破綻→金融恐慌に直結しました。民政党の金解禁政策失敗のあと、元老だった高橋是清が再び蔵相に復活し、財政安定に努力するのは、このときの不始末の後始末であり、罪滅ぼしだったと私は考えています。


 民政党の引締め政策は、「政友会が先延ばしにして手遅れになった引締めを遅ればせにやったもの」です。元兇は、政友会の積極政策、それを担当した高橋蔵相です。

 民政党の緊縮財政は、不幸にも世界大不況の時期と重なったため、傷が深くなりましたが、この不始末の責任をとるべき第一の責任者は政友会と高橋蔵相です。

 民政党の責任は二つ、第一に、戦後平価でなく「戦前平価」で金解禁をやって傷を深めたこと。第二に、英国が金本位政策を離脱したあと、金本位に固執して保有金の大量流出を招き、さらに傷を深めたこと。

 でもこれらの「罪」は、「政友会と高橋蔵相の失敗」の上塗りないし二の舞に過ぎず、失敗の先鞭は政友会がつけているのです。


(2)対英米協調外交の破綻

 大正の第二の間違いについても、岡田益吉が書いています。


 岡田益吉『軍閥と重臣──新聞記者のみた昭和秘史』 (読売新聞社、昭和50.12.10)

   〃 『危ない昭和史 (下)──事件臨場記者の遺言』 (光人社、昭和56.4.7)


 第一次大戦後、日本は政友会も民政党も対英米協調外交をとります。田中強硬外交も、対中では強硬ですが、対英米では幣原外交を上回る協調ぶりを示します。これを破綻させたのは、英米の既得権益囲い込みの独善外交と、外向的手続きを無視した中国の観念的抗日ナショナリズム (革命外交)です。

 そして、日本の対英米協調外交の破綻の始まりが、ロンドン海軍軍縮条約です。これは内政に跳ね返り、国論分裂・暗殺政治と対中武力行使を生み、軍部の政治発言力を強化して行きます。「持てる国」英米の独善により、「持たざる国」日本政治の選択の幅が極めて狭くなって行くのです。


(3)ロンドン海軍軍縮条約の「物語」

 私は帝塚山大学で日本現代史の講義もしていましたから、海軍軍縮条約(ワシントン と ロンドン)について一通りのことは承知していましたが、昭和の動乱の出発点の一つであるロンドン海軍軍縮条約について、その経過を一度きっちり調べたいと思っていました。

 私の曾ての帝塚山大学の同僚、関静雄さんが書いた本書は、それを、しっかりした典拠に基づいた「物語」として纏めました。学者の書物は注がびっしりついていて読みにくいし、「論理」を追うことが主眼で「物語」性が少ないのですが、関さんのこの本は、典拠からの引用を含みつつも、お話として展開して行きます。すらすら読めて、事態の展開が小説を読むように、時系列に従って頭に入って行きます。


 本書は「物語」なので引用的紹介はやめ、目次を紹介します。あとは直接お読み下さい。


 注目点は、昭和の日本は指導層が「官僚化」し、各省庁が割拠の拠点となって国論がばらばらになって行くのですが、その「始り」がこのロンドン海軍軍縮条約に関する論議で如実に窺えることです。

 何より、濱口首相率いる濱口内閣が「官僚内閣」でした。帝国大学は官僚養成機関です。その帝国大学を優等で卒業した人たちが日本の指導層になる昭和は、いや、その前の大正時代からそうなります。日本の政治が否応なく「官僚政治」「官僚支配」と化します。政党も官僚化しましたから、昭和になって政党政治の影が薄くなるのは当然の帰結なのです。

 もう一つ、政党と政党人 (官僚上がりでない人) も、明治・大正の「名望家政治」から、昭和の「大衆政治」への切り換えに失敗し、昭和の問題 (内政・外交) に対応できず、有権者から見放されます。昭和10年代の軍部統治は、軍部が出てきたというより、それまでの政治家の無能が、まだ試されていない軍部を引っ張りだしたのです。このとき失敗した政治家が、戦後、被害者面をして顔を出すのは「場違い」というほかありません。


 序 論 二つの「終りの始り」──国際協調と政党政治

 第1章 英米海軍軍縮予備交渉

 第2章 若槻全権団の編成

 第3章 若槻全権の対米・対英予備交渉

 第4〜8章 ロンドン海軍会議──アメリカ試案/請訓/海軍回訓案/回訓/調印

 第9〜10章 帝国議会──政友会の統帥権論と首相の答弁回避方針/答弁方針の変化と限界

 第11〜13章 軍事参議官会議──海軍部内の統帥権問題/加藤の辞職/奉答文の決定

 第14〜15章 枢密院審査委員会──政府と枢府の論争/政府と枢府の対決

 第16章 剰余金の配分──政府対海軍

 参考文献/ロンドン海軍条約成立史年表/索引


(4)終りに:

 関さんは、ロンドン海軍軍縮条約を幣原外交と政党政治の「終りの始り」としています。そして、満洲事変と五一五事件に始る「昭和の動乱」の「序曲」だと(i頁)。


 本書に不足する点が二つあります。


 第一、昭和天皇が演じた役割の検討です。これについては、以下を参照。


 伊藤之雄「昭和天皇と立憲君主制──近代日本の政治慣行と天皇の決断」

   (伊藤之雄・川田稔編『20世紀日本の天皇と君主制』吉川弘文館、2004.3.20所収)

 伊藤之雄『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』 (名古屋大学出版会、2005.5.10)


 その論点は、私が「世界の話題」209 の「昭和天皇と大日本帝国の崩壊」 (この読書室に掲載済)で紹介しました。


 第二、中西輝政 (関さんと同期の京大卒) の「国際謀略説」です。これも「世界の話題」214 の「国際謀略に即応せよ」(読書室に掲載済) で紹介しました。


なお、関さんは満洲を「満州」と略字で書いていますが、洲から三水偏をとってはいけません。 シナの五行思想では、五徳(木火土金水)が五方(東南中西北)に対応します。木=東、火=南、土=中(これに君臨するから、シナの天子は土の色である黄色を使う)、金=西、水=北。

 そこで女真族がつくった後金国の太宗ホンタイジは、南=火の方角にある漢族の王朝・明朝を亡ぼすべく、1636年に国号を大清、民族名を満洲と「水」がつく文字に改めました。ですから、水抜きの「州」では意味をなしません。


(平成19.10.4記/10.10追記)