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読書紹介:
スペイン戦争
I.世界中の知識人を席捲する共産党の謀略マシーンの恐ろしさ
京都大学の中西輝政教授が『諸君!』に「国家情報論」を連載しています。
今年の4月号は、「君は "赤いゲッベルス" ミュンツェンベルグを知っているか」がテーマです。曰く、Willi Muenzenberg (1889-1940)はヒトラーと同年にドイツのエルフルトに生れます。
I大戦中スイスに亡命し、レーニン(1870-1924) と共に世界革命に献身します。ロシヤ革命の成功により、ソヴェト指導部から豊富な資金を得て ベルリン や パリ、上海などを拠点に、1920年代以降、世界革命のための謀略工作に献身するのです。
明石元二郎よりもっともっと巨大な謀略家です。
ロシヤ革命後の戦間期に構築されたミュンツェンベルグ・ネットワークの活躍は物凄く、世界中の知識人群の中に浸透し、直接間接に彼らを動かし、世論を形成して行きます。ゾルゲやスメドレー、尾崎秀実は勿論、ハーバート・ノーマンや都留重人ら……、いや、当時の有名人はたいていミュンツェンベルグ・ネットワークの息がかかっていたと言えるほどのようです。
東アジアに限っても、張作霖爆殺事件も関東軍ではなく彼らの仕業、支那事変も彼らの仕業、日米を戦争に追い込んで行くのも彼らの仕業……。宋慶齢も彼らの手先。彼らに浸透された近衞文麿内閣が支那事変の泥沼に深入りするのは当然の結果となります。今盛んな「南京大虐殺」論も「従軍慰安婦」でっちあげも、この「世界革命のための知識人集団の催眠術操作」の延長上にあるのです。根拠を示して説得するだけではとても対抗できぬ相手なのです。
米国ブッシュ政権が今年元旦から「前代未聞の壮大な機密文書公開に踏み切ることにした」 (昨年12月21付 International Herald Tribune)。これらの機密文書は実に「数億頁に達する」膨大なもので、これによる「現代史の書き換え作業」が必要となります。だが、日本現代史の専門家に、これに注目する気配がありません。まだ謀略の中に浸っているのでしょうか? それとも、これまで「通説」としてきた論考を壊したくないのでしょうか?
ミュンツェンベルグ・ネットワークの謀略の一端は、転向した妻が著書で暴いたそうです。
Babette Gross, Willi Muenzenberg: Eine Biographie, Stuttgart, Deutsche Verlags-Anstalt, 1967
これは邦訳なし。何しろ、知識人の世界は左翼反体制が主流ですから、自分らの知られたくない秘密を暴いた「邪悪な」書物は訳されないのです。
以下の書物も邦訳なし。
Stephen Koch,
Double Lives: Stalin, Willi Muenzenberg and the Seduction of the Intellectuals, New York, Enigma Books, 1994, 1995, 2004
Sean McMeekin,
The Red Millionaire: A Political Biography of Willi Muenzenberg, Moscow's Secret Propaganda Tsar in the West, New Haven, Yale University Press, 2003
しかし、邦語で読めるものが全然ない訳ではない。
例1:三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』 (自由社、入手可能)
例2:ワルター G.クリヴィツキー『スターリン時代』 (みすず書房、昭和37.12.25) →最近、復刊
例3:『ウィロビー回顧録:知られざる日本占領』(番町書房、昭和48年)
例4:アーサー・ケストラー『ケストラー自伝:目に見えぬ文字』 (彩流社、1993)
例5:『文藝春秋』2007.3月号、中田整一・保阪正康対談 (二二六に彼らの手が及んでいた!)
例1は、私は元版を持っていて、昔、読了済です。優れた分析で、読み応えがありました。いま、書庫と我が家をいくら探してもみつからない! 戦時下、代議士として体験したゾルゲ事件・企画院事件などの背後にコミンテルンの謀略ありということを綴った書物です。この情報を知ったウィロビーが動き、それが米国に飛び火してマッカーシー旋風になったと聞き及んでいます。
マッカーシーは孤軍奮闘して、結局、海軍長官フォレスタル同様、左翼ネットワークによって消されたようです。
詳しくは、下記参照。
コーネル・シンプソン
国防長官はなぜ死んだのか:フォレスタル怪死と戦後体制の大虚構』 (成甲書房、2005.12.5)
ジョゼフ・マッカーシー
共産中国はアメリカがつくった:G.マーシャル の 背信外交』 (成甲書房、2005.12.25)
R.H.ロービア『マッカーシズム』 (岩波文庫、1984.1.17)は、真相が暴かれては困る側、つまり左翼ネットワーク側からの「マッカーシー泥塗り本」です。だから岩波が出した。
例3、例4は持っていません。例5は読了済。
持っていてまだ読んでいなかったのが例2です。そこでそれを読んだら、第三章にスペイン内戦でいかにスターリンが「共産党支配体制構築」に動いたかが書いてあったので、それを取り上げた、というのが、今回の読書紹介の動機です。
以上、この紹介の「まえがき」です。
II.スペイン内戦とはどんな出来事?
(概説書3冊)
スペイン内戦は 1936〜39年、II大戦直前に 3年続いた内戦です。civil war を直訳して「市民戦争」と訳されたり、外国勢力が介入するので「戦争」と言われたりします。
手っとり早く知るには、例えば、斉藤 孝『スペイン戦争──ファシズムと人民戦線』 (中公新書 104、昭和41.5.25)で手軽に経過を知ることができます。
J.ギブス『スペイン戦争』 (れんが書房新社、1990.6.20)もあります。
一番整理が行き届いていて、スペイン現代史の中での位置付けができているのが、色摩力夫『フランコ──スペイン現代史の迷路』 (中公叢書、2000.6.1) です。同じ著者の『黄昏のスペイン帝国』 (中央公論新社) という名著をかつて読んで敬服しました。
スペイン内戦には、数々の神話がまといついています。共和国政府側には多くの知識人が支持をし (この背景に左翼ネットワークの作用があった) 、著名な作家が従軍し、文学作品を書きました。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』は映画にもなりました。ジョージ・オーウェルは『カタローニャ讃歌』を書いています。ソ連が軍事的・政治的支援を行いました。航空部隊と戦車部隊を送った上、コミンテルンが編成した「国際旅団」 (共産主義者の志願兵団) を送っています。
叛乱側にはナチス・ドイツとファッショ・イタリアが軍事的・政治的支援をし、ドイツの「コンドル軍団」とイタリアの義勇軍が戦いに加わりました。
(9つの神話)
色摩力夫さんは、最初に「スペイン内戦の神話」を列挙してコメントをつけます。
神話1:フランコがモロッコ駐屯軍を率いて決起し、スペイン各地の軍隊がこれに呼応して始まった。
コメント:全く事実に反する。
神話2:獨伊の陰謀説/国際共産主義の陰謀説
コメント:何れも全く根拠なし。政治宣伝に過ぎぬ。
神話3:II大戦の前哨戦
コメント:内戦はスペインに内在する固有の諸要因から生じたもの。II大戦の原因とは次元が違い、無関係である。
神話4:共和国打倒を図る軍部に対する人民の組織的抵抗
コメント:軍部も共和国政府側もバラバラ。陸軍将校団は両側で戦った。人民側も、暴力的社会革命を図る無政府主義勢力と、共和国政府を擁護する諸勢力とに大別され、さらにそれぞれが内部抗争を続けた。要するに、てんでんばらばらだったのである。
神話5:共和国側「共産党」と叛乱側「ファランヘ党」の抗争だった。つまり、共産主義とファシズムのイデオロ闘争だった。
コメント:開戦時、両党とも群小政党の一つに過ぎず。時間と共に成長するが、主導権を握るには程遠かった。
神話6:共和国政府側が勝てなかったのは、獨伊の軍事援助がソ連の援助より大きかったから。
コメント:双方の軍事援助は拮抗していた。援助の仕方が、獨伊側がやや勝っていた程度。
神話7:コミンテルンが組織した「国際旅団」は自由民主国から参加した左翼リベラル「知識人」の集団である。
コメント:著名な文人が参加したのでそういう印象を受けるが、実態はコミンテルンが組織した労働者で、その 85%が共産党員だった。
神話8:カトリック教会は終始、叛乱側を支援していた。
コメント:事前に関与した事実なし。内戦勃発後、叛乱側に結集する。しかし「一枚岩」にはならず(なれず)。特にバスク地方では、下級聖職者の多くが共和国政府支持に回った。
神話9:叛乱側はしばしば国際法を蹂躙する非人道的戦闘行為を行った。「ゲルニカ爆撃事件」はその典型である。
コメント:「戦時法規」は内乱には適用されず。「国際法違反」問題はあり得ず。ゲルニカはピカソのおかげで有名になっただけ。ほかにもっと酷い事件があったが、誰も問題にしていない。それに共和国政府側も結構酷い暴力殺人をやっている。
III.クリヴィツキーの第三章「スターリンのスペイン内戦干渉」(53-76頁)
さて、クリヴィツキーは、自分が指揮したスペイン戦争でのソ連の関与をどう描いているか?
以下、適当に抜き書きしてみましょう。
スターリン の 介入目的=要衝 スペイン を クレムリン の 影響下に置き、それを通じて英佛獨に対する交渉力を強化すること (53頁)
コミンテルンは自国で迫害され ロシヤに難を逃れていた多数の外国共産主義者を兵士として スペイン に 送った。スターリン は 彼らを厄介払いできたと喜んだ (55頁) 。
スターリン が スペイン内乱に介入したのは、スペインの 共和国政府が軍需品購入の代償に 1億4000万ポンド という莫大な金の提供を申し出たからである (56頁) 。
国際旅団の中核は ロシヤから送られた外国共産主義者 500名〜600名から成っていた。彼らは後に15,000名近くに膨れ上がる (64頁) 。
スペイン陸軍省のあらゆる大切な部署の 90%は、後に スターリンの追随者が占めた (64頁) 。
義勇兵はスペインに到着するとすぐ旅券を取上げられた。この旅券は紛失を口実に返されなかった。モスクワの オゲペウ本部では、本物の旅券は頗る貴重視された (64頁) 。
国際旅団の前景の背後で、ソ連赤軍の ロシヤ人部隊が秘かに到着し、背後の部署に就いた。スペインでこのソヴェト軍事要員は2000人を超えることはなかった。そして飛行士と戦車将校だけが従軍した。 ロシヤ人の多くは参謀部員、軍事教官、技師、軍需工業専門家、化学戦専門家、航空機整備員、無線技師、砲術専門家など、技術者だった (65頁) 。
オゲペウ 外事局長 スルツキーが私に語った。「スペインは今や我々のもの、ソヴェトの戦線の一部だ。我々はスペインを固めなければならない。…… アナーキスト や トロツキストは反ファシズム の 兵士であっても我々の敵だ。彼らは反革命派であり、根こそぎにせねばならん」 (68頁)
ソ連は共和制 スペイン を 自分の所有物であるかのように支配した (69頁) 。
ソ連兵器による マドリード防衛の成功は、オゲペウに新しい権力拡張の機会を与えた。捕った数千人の中には フランコ と 闘うため スペイン に 来た大勢の外国人義勇兵が含まれていた。やり方を批判したり、ロシヤ に 於ける スターリン独裁を快く思わなかったり、異る政治信条の持主と接触したりすれば反逆とされた。オゲペウは モスクワでのやり方を踏襲して自白を引出し、即座に処刑した (69-70頁) 。
スターリン の 障害の一つが カタルニアだった。彼らは反スターリン 派であって、カバリェロ 政府の 主な担い手だった。スターリン は 完全な支配権を握るには、カタルニア を 制圧し、カバリェロ を 追い払わねばならなかった。このことは、パリの亡命 ロシヤ人無政府主義者グループの指導者の一人でオゲペウの秘密工作員だった男が作った報告中で強調されていた。彼は バルセロナ に 派遣され、そこで著名な無政府主義者として同地方の政府部内の アナルコ・サンディカリスト の 信頼を得た。彼の使命は、挑発者として カタルニア人に暴動を煽動し、軍隊が弾圧するきっかけをつくることだった (72頁) 。
1937.5. バルセロナ から センセーショナル な ニュース が 全世界に伝わった。「無政府主義者バルセロナ で 暴動!」。特派員は カタルニア の 首都での反スターリン 陰謀、電話局攻撃、市街戦、バリケード、処刑を報告した (73頁) 。
オゲペウが炎を煽り、無政府主義者、サンディカリスト、社会主義者を挑発して互いに闘わせた。 500人が殺され、1000人以上が負傷した。流血の 5日間の後、カタルニア は カバリェロ 政府の存亡の問題となった。スペイン共産党は……反スターリン 運動を即刻抹殺せよと政府に求めた。ラルゴ・カバリェロ は要求を呑めず、5.15辞表を出した (74頁) 。
その頃、莫大な量の金がスペインから到着した。噂が洩れるのを恐れて スターリンは、この財宝の陸揚げを秘密警察の高官に限った。……この仕事に派遣された私の協力者の一人が私に語ったオデッサの様子は次のようだった。……「我々がオデッサ港の構内に積み上げた金の箱を全部、この赤の広場に並べれば、広場はすっかり埋まってしまうよ」 (75頁)
1938年を通じてスターリン は徐々に スペイン から手を引いた。この冒険から彼が得た全ては、莫大な スペイン の 金だけだった (76頁) 。
伊原のひとこと:歴史は無数の犠牲の上に積み上げられている!
(平成19年8月19日記)