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読書紹介:
田中英道『国民の芸術』
(産經新聞社、平成14.10.30) 1800円
西尾幹二『国民の歴史』(平成11.10.30) に始る『国民の××』シリーズの一冊です。七百数十頁の大冊で、しかも著者渾身の力作が僅か1800円 (税込み) で手に入ります。
このシリーズ中、本書は久しく書店で見かけませんでした。かねがね読みたいと思って探していたのですが、男声合唱の練習場の近くの紀伊国屋書店に出ていたので、早速買って忽ち読上げました。読み応えがありました。芸術に疎い読者にも判るように、世界芸術史の中の日本芸術の独自性と革新性が説得力を以て説かれています。
著者は欧州美術史の専門家で、欧州で学位を取り、外国の学会で研究発表し、評価を受けている学者です。それが縄文以来の日本の芸術を組織的体系的に論じたのが本書です。
目次を見ただけで、読みたくてうずうずします。
1 日本人はどこから来たか 列島で何を見たか
2 日本は「芸術国家」である
3 「形象」で語る日本「文化」史
4 縄文土器・土偶はすでに芸術である
5 中国と異なる巨大文明の発生
6 日本の神々の偶像崇拝の禁止
7 聖徳太子が世界の宗教を融合した
8 仏像が人間と宗教を統一した──「ほと・け」と法隆寺
9 日本の「古典主義」の基礎
10 天平のミケランジェロ・公麻呂
11 聖武天皇は芸術の都・奈良の大パトロンであった
12 奈良の都のオーケストラ
13 大画家・光源氏
14 親鸞はルターに先駆けている
15 運慶と鎌倉「バロック」期の巨匠たち
16 日本の大学は西欧より進んでいた
17 能に降臨する日本の神々
18 中国へのロマンチシズム
19 キリシタンと日本
20 巨大で美しい城郭建築の文化
21 日本の「近代」文化は江戸で花開いた
22 浮世絵はなぜ「近代」絵画の先駆なのか
23 「近代」日本人は西欧とどう対決したか
24 日本の伝統を主張する美術と映画
25 西洋知識人は日本をどう理解したか
26 現代日本のアイデンティティー
開巻劈頭、「日本人の祖先はどこから来たか」と問い、私たちの歴史的視野は狭い、と嘆きます。朝鮮・中国・東南アジア くらいで、それ以上には及ばない。だが第六章で述べるように、日本神話はギリシャ神話のみならず、ヨーロッパ各地、メラネシア、ポリネシアなど各地の神話と関連していることから判るように、もっと視野を広く持たないと日本のことが判らないよ、云々。
日本人の来源の話が、日本庭園の石組は「島」だという話になり、蘇我馬子を「島大臣」と称した話になる……と、話は初めから著者の視野の広さを窺わせて展開します。
毎頁興味深く読みつつ、気がつくと読み終えていて、大冊を重荷に感じさせません。
以下、若干本書の特徴を指摘しますが、「どうぞご自分で直接お読み下さい」というほかありません。第一に面白いし、第二に啓発されるところが少なくない。そして読み終えたら、日本は素晴らしい国だということをしみじみ悟る仕組になっております。
第一の点:日本は「芸術国家」である。昔から庶民まで和歌を詠み、俳句をつくる詩人であったし、日常生活の中に美を求めた。書もたしなんだ。
戦後の日本人が「同じ日本人か?」といぶかしく思えるほど、伝統から切り離されていることが判ります。米軍占領政策により、伝統から切離す教育・国体破壊の教育を受けて育ったのです。
第二の点:日本文明はシナと異なる巨大文明である。世界最大級の前方後円墳墓は、日本の宇宙観の形象化です。天=円形、地=方形という中国思想から学んでいるが、そこから独自文化を発展させた。
この日本文明の独自性が判っていないと、シナ人と付き合い兼ねるのですが、何も知らずに資本・技術をシナに貢ぐ日本人が跡を断ちません。日本人は戦後、無学者が殖えました。
第三の点:仏教の渡来で「神道」的仏教が隆盛した。神道も仏教も日本人の生活の中に溶け込んでいるため、自覚的に意識されませんが、外国人と対等に付き合うには、ここんところを客観的に把握しておく必要があります。でないと宗教を持たぬ野蛮人として軽蔑されます。
第四の点:日本の大学は西欧より進んでいた。西欧では世界最古の大学がボローニャ大学、それに次ぐのがパリ大学とされますが、日本の大学はそれより古く、且つ高度な教育内容を誇っていました。皆さん、これをご存じでしたか?
第五の点:日本の城は軍事的建築ではなく、芸術品である (特に天守閣) 。戦国の争乱が終る時期に建て始められた。そして「美」を競った。だから、一つ一つ形が違っている。軍事的建築なら、優れた機能は真似られ、画一化した筈である。
第六の点:日本の近代は江戸で花開いた。江戸時代が注目されていることはご存じの通りですが、本書でも詳しく江戸時代の注目点が説かれています。その注目点の一つが、浮世絵が近代絵画の先駆である点、特にフランスの印象派に影響した点です。
これについては、福本和夫『日本ルネッサンス史論』 (昭和42.10.31初版/1985.7.23 復刻) という先駆的業績があります。八百余頁の大冊です。私は学生時代に福本さんの北斎論を読んでいたので、北斎がいかに素晴らしい画家であるかは、早くから承知しておりました。
福本和夫については、小島 亮編『福本和夫の思想──研究論文集成』 (こぶし書房、2005.6.15)という便利な書物も出ております。
福本和夫については、私は何れ「大正デモクラシー論」の一環として論じてみたい意欲を持っております (私は、大正時代の軽佻浮薄が昭和に重荷を課し、昭和の敗戦の原因をつくったという認識を持っており、大正デモクラシーを「昭和の敗戦の元兇」と考えています。そして、戦後デモクラシーは、戦前の祖先の辛苦を偲ばない点で、大正デモクラシーよりもっと軽佻浮薄です) 。
福本和夫の『日本ルネッサンス史論』を今回読み返してみて、感じたことが二つあります。
(1)一所懸命「日本にも紛れもなくルネッサンスがあった」と厳密・周到・包括的に論証を重ねる背後に、「西欧が世界史発展の普遍的モデル」と信じて疑わない姿勢が窺えること。この姿勢は、明治以来、ごく最近まで、日本の知識人の常識でした。大塚史学が日本の「革命」のため、西欧経済史を根掘り葉掘り「革命の契機」と「革命の担い手」を探し回ったのを思い出して下さい。何という虚しい努力!
最近やっと、西欧も特殊世界で、決して一般的普遍的モデルではないことが日本の学界でも普及しましたが、つい最近までそうではなかったのです。その名残で、今でも、西欧がモデルと信じて日本を叩く評論を書いたり喋ったりしている「識者」は少なくありません。加藤周一は、そういう「前世紀の遺物」の一人です。そして岩波書店は、そういう西欧崇拝者の受売り著作を出版してきた書店です。
(2)福本和夫の独創性と、それを立証するための驚倒するほどの熱意・馬力・周到さ・包括性。これほどの馬力や執念は、今の都会化し、ひ弱になった日本人にはありませんね。
結論:世の中には、立派な人・素晴らしい本が汗牛充棟、我ら凡人は学ぶのに忙しく、いくら学んでも追いつきません。しかし、学ぶのは実に楽しいです。
今の学生は「学ぶ」ことを人に言われてしますから、一向面白くも楽しくもないようですが、人生の成長期をいやいや過ごすなんて、実に勿体ない!
(平成19年8月18日記)