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鄧小平と毛澤東の器量の差
伊原註：これは『關西師友』平成27年／2015年 6月號 6-9頁に掲載した
「世界の話題」(303) の採録です。少し手を入れてあります。
最近、「讀書室」の掲載が滞つてゐたのは、
「伊原塾」など講話のレジュメ作りに追はれてゐたためです。
『産經新聞』 4月14日附の「歴史戰」といふ記事に、
「南京大虐殺記念館」が建設されるきつかけは
1982年に中國共産黨 (以下、中共）中央が全國各省市に發した
「日本の中國侵略の記念館を建設せよ」との通達だつた
とあります。これが鄧小平の指示だといふのです。
この指示の背景に、
上海で建設中の寶山製鐵所を巡る權力鬪爭があつた──
といふ記述が目を引きました。
當時（1981～1982年）私は香港の日本總領事館で特別研究員として
中國政治を觀察中でしたから、この事件はよく承知してをります。
寶山製鐵と中共の權力鬪爭
この記事に曰く、
「中共事情に詳しい中國人學者」の解説によると、
1970年代末に、毛澤東の後繼者である華國鋒主席が主導して
日本に各種重工業プラントを發注した。
だが中國の外貨不足で代金支拂が滯つた。
鄧小平がこれを奇貨と見てつけ込み、
華國鋒・李先念體制が主導する建設路線を「洋躍進」(外國依存の躍進) と批判し、
重工業路線ではなく、農業・輕工業重視路線に切替へた、
──といふのです。
これに異議あり。
寶山製鐵は中國側が、
華國鋒主席・李先念副總理主導の經濟建設の目玉として
新日鐵の全面協力を得て君津の最新設備を中國に導入したものですけれども、
訪日時に君津を見學して
「この最新設備をそつくりその儘中國に導入したい」
と望んだのは鄧小平その人です。
だから、鄧小平が重工業の導入に反對だつた筈がない。
核開發までした中共政權が、
何で今更「農業・輕工業重視路線」に切替へたりしますか。
鄧小平は、毛澤東の文革路線を引繼ぐ華國鋒政權下で三度目の復活をしますが、
華國鋒から權力を奪ふため、
華國鋒の名で進めた寶山製鐵の建設にケチを附けたまでです。
だから、華國鋒を無力化して實權を獲得すると、日本が申出た資金提供を受入れて、
平然と寶山製鐵建設を續けました。
人口の尠いシンガポールぢやあるまいし、
重工業抜きで圖體の大きい中國經濟が發展する譯がないではありませんか。
路線の違ひは、文革を繼承するか否かの違ひであつて、
經濟建設路線の差ではなかつた筈です。
ですから、上記の「中國人學者」の言ひ分は間違ひです。
伊原註：ｼﾝｶﾞﾎﾟｰﾙ は人口が小さいので
大規模設備 → 大量生産 の 重化學工業をパスし、
ﾊｲﾃｸ工業 と サービス業に特化しました。
賠償問題を巡る誤解
その後の記述にも、問題があります。
寶山建設の延期を決めた中國側は、
日本企業に一方的に契約中止を通告します。
日本企業は私企業ですから、當然、違約金を求めました。
ところが、それを聞いた鄧小平は、日本人は厚かましいと考へ、激怒したさうです。
「中國が對日戰爭賠償を放棄したのに、
「これ位のことで日本から賠償を求められたのは心外だつたやうだ」
と、前記の中國人學者は解説します。
違ひます。日本は賠償を拂つてゐない譯ではない！
簡潔に纏めませう。
中共政權が賠償を放棄したのは、?介石國民黨政權が賠償を放棄してゐたからです。
そして國民黨政權が賠償を放棄したのは、米占領軍が「日本に賠償能力なし」として、
多額の賠償を豫定してゐた國民政府に賠償請求を放棄させたからです。
日本人は、ポツダム宣言受諾直後の?介石の“以德報怨”演説 (8月15日) が頭二あり、
國民黨政權が、初めから賠償を求めなかつたと思ひ込んでゐますが、間違ひです。
日本に賠償能力が無かつたのは、Ｂ29が途中で爆撃目標を軍需産業から民間人に變へ、
爆撃方法を爆彈中心から燒夷彈中心に變へて
日本の主な都市を市民ごと燒いて國力を大幅消耗させたからです。
この轉換を實施したのが 歐洲戰線で「空の要塞」B-17 を使つて
ﾄﾞｲﾂ で無差別都市爆撃をやつてゐた カーティス E.ルメイ少將であり、
彼は アジア に轉屬して、今度は「超空の要塞」B-29 を使ひ、
日本に對して無差別都市爆撃をやります。
燒夷彈による民間人燒討への轉換點が
昭和20年／1945年 3月10日の東京大空襲です。
ルメイ少將はこれが戰爭犯罪であることを充分承知してゐて、
「日本が勝つてゐれば、自分は差詰め戰犯第一號だ」と言つてをります。
米國は日本を徹底的に追詰めます。
港灣には片端から各種各樣の機雷を撒いて、
木造船しか出入り出來ぬやうに日本の海上交通を封鎖しました。
米軍は、戰ふのは軍隊同士といふ戰時國際法のルールを捨てて、
戰鬪員・非戰鬪員の區別なく日本人皆殺しを企てたのです。
目ぼしい都市は皆燒かれたので、
昭和20年の冬、日本人は飢え且つ寒さに震へてゐました。
かういふ譯で、我國は昭和20年には生産力が激減してゐました。
そして米軍の支援、特に食糧支援なしには昭和20年の冬が越せなかつた。
だからＧＨＱは?介石政權を含む各國に賠償放棄を求めたのですが、
實は我國は、媾和條約を締結した際、賠償を拂つた方が良かつたのです。
没收された莫大な在外日本資産
賠償を拂ふとなると、
敗戰後に没收された公私の財産が賠償の一部として計算されます。
我國は台灣・朝鮮・滿洲・中華民國に莫大な投資をしてゐました。
台灣は領有後暫くは赤字でしたが、
米と砂糖の二大産業が育つて收支は軈て黒字になりました。
でも朝鮮と滿洲は持ち出しの儘です。
投資が回收出來ぬうちに敗戰を迎へました。
戰後、アジアが大きく成長するのは、
これらの日本の（過剰）投資が大いに貢獻してゐます。
政府の公的資産のほかに、
身一つで祖國に引揚げた在留邦人の私財も、賠償に計算されます。
その總計は、日本の“正當と思はれる”賠償額の三倍は優にあつた
とする試算もある位です。
それなら、賠償を拂つてお釣りが出たことになります。
それが、賠償を放棄したが故に、
没收された我國の公私に亙る莫大な資産も計算されずに終りました。
だから、“賠償放棄”は我國にとつて、頗る高くついたのです。
只ほど高いものは無いとはよく言つたものです。
それに、“賠償放棄”したからと、
各國との媾和條約締結時に賠償金の代りにそれ相當の額のお金を出しましたし、
ＯＤＡなどで直接間接、かなりの額を提供してゐます。
特に滿洲と中國には莫大な資金を投じてゐます。
それを中國人は、「賠償を負けてやつたのだから、
援助して貰つて當り前」とばかり、
全然感謝してゐません。
鄧小平と毛澤東の器量の差
以上の損得勘定のほかに、もうひとつ感じたことがあります。
鄧小平が日本人に「賠償を負けてやつたから」といふのを聞いて、
私は毛澤東の人品骨柄の大きさを想起しました。
毛澤東は、中國に對する侵略を謝る日本社會黨訪中團に對して、
かう答へました。
（「日本社會黨の佐々木更三……らを接見した際の談話」
（『毛澤東思想萬歳（下）』三一書房、1975年、187頁）
「何の何の、我々こそ感謝せねばなりません。
「日本皇軍のお蔭で政權が取れたのですから」
かう言はれると、聞いた我々日本人は益々恐縮し、
言つた人物の格調の高さを仰ぎ見るやうになります。
毛澤東は續けて、かうも言つてゐます。
「過去のああいふことは話さぬことにしませう」と。
過去を言ひ立てる今の政權とは大違ひです。
その「言ひ立てる過去」も、あることないこと取り混ぜて一方的に言ふだけですから、
調整も歩み寄りも出來ず、
要するに問題無用、俺らの言ひ分をその儘受取れといふだけですから、
私達が屈服せぬ限り、あの非難は止みません。
(伊原註：屈服させるため、一方的に言ひ立ててゐるのです)
中共軍と戰つた私の先輩が、江澤民主席になつて日本批判が始つた時、私に言ひました。
「伊原さん、中共政權が今になつて日本批判を始めた理由が判りますか？」
(伊原：「……？」)
「當時を知つてゐる人が死に絶えたからですよ。
「自分らも相手側もそれぞれ惡いことをしてゐる。
「だから一方的に相手が惡いなどと言ふと直ちに反論されると判つてゐたから、
「これまで何も言はなかつたのです。
「それが、實際の戰鬪を經驗して居ない世代になると、
「あることないこと取混ぜて好き勝手なことをいふやうになるのです」
聲が大きく、厚かましい方が勝つ時代になつてゐるのですかねえ。
シナの喧嘩では喧しく言ひ合ひ、言ひ勝つた方が勝つ由です。
喧嘩の時に相手を罵る用語集まで多種出版されてゐるさうです。
日本人は、罵りまくる訓練などしてゐませんから、
罵り負けるのです。
（平成27/2015.5.8／平成28/2016.1.10補筆)