百田尚樹『永遠の0』 - 伊原教授の読書室

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    百田尚樹『永遠の0』



伊原注:これは『關西師友』2014年六月號 10-13頁に掲載した

        「世界の話題」(292) です。

        少し手を入れてあります。






        特攻論+大東亞戰爭論


  宮崎駿の最終作となつたアニメ映畫『永遠の0』を見損ねた儘になつてゐました。

  難波附近を幾ら探し廻つても、上映してゐる映畫館が何處にあるのか判らなかつたのです。


  それが最近、本書を讀んだ人が、

        車中で讀始めたら止まらず、

        着いた先で會合をキャンセルしてホテルの部屋で讀終へたとか、

        流れる涙を拭(ふ)き拭き讀んだとあるので、

  早速買つて來て徹夜で讀了。最終部分は涙流れて止まず。


  宮崎駿のアニメ映畫の紹介(新聞紙上で讀んだ)では、

  零戰設計者の堀越二郎が主人公と承知してゐましたが、

  百田直樹の原作(講談社文庫、私が買つたのは第47刷)では

  堀越二郎は一度(69頁) 出て來るだけ。

  徹頭徹尾「特攻死した祖父」の話です。


  そして一面では、優れた大東亞戰爭論ともなつてをります。


  本書は二種類の讀者に向けて書かれた小説です。

  主對象は“あの戰爭" に無知無關心な若者達、

  副對象は“あの戰爭" は惡い戰爭だと洗腦された戰後育ちの中年世代。


  構成は見事で、上出來の論文を讀んでゐると錯覺するほど明快で論理一貫してゐます。


  初めに、米空母の高角砲射手の述懷──。

        カミカゼは恐怖の的だつたが、

        近接信管附きの砲彈の彈幕を張るとカミカゼはばたばた落ち、

        艦に近附く機は殆ど無くなつた。

        夏が來る頃、我々高角砲の砲手は開店休業の有樣。

        戰爭は間もなく終ると兵士は話合つてゐた。


  所が──

        「あの惡魔のやうなゼロを見たのはそんな時だつた……」

  と話が始ります。


伊原註:私にとつて「零式戰鬪機」は飽くまで

        「レイセン」であつて「ゼロセン」ではない。

        アメリカ人が「ゼロ」といふのは勝手ですが、

        日本人なら「レイセン」と言つて貰ひたいです。



        なぜ敗戰直前に特攻で死んだ?


  話の引回し役は二十六歳の健太郎。

  頭が良く、現役で輕く通ると言はれてゐた司法試驗に

  四年連續失敗して、目下、目的喪失中のぶらぶら暮し。


  そこへフリーライター修行中の姉慶子から電話が掛ります。


  「祖父のことを調べたいので手傳つてくれない?」


  祖母は最初の夫との間で娘(彼ら姉弟の母)を生んだが、

  夫は終戰直前に海軍航空兵として特攻で戰死。

  奇(く)しくもそれが、健太郎と同じ二十六歳の年なのです。


  夫を亡くした祖母は、戰後再婚して、

  娘(先夫の子、姉弟の母)を含む三人の子を育てた。


  祖母は前夫のことを娘に何も話さず、

  娘は特攻死した自分の父(姉弟の祖父)のことを何も知らない。


  最近ふとその母が

        「死んだお父さんてどんな人だつたのかしら」

  と漏らすのを耳にした慶子が、

  祖父調べをするから手傳へと健太郎に仕事を持込んだ──

  と言ふことで話が展開します。


  姉弟が最初に會つた元航空隊員は、衝撃的な話を聞かせます。

        「あいつは海軍航空隊隨一の臆病者だつた」

        「命が惜しくて惜しくてたまらないといふ男だつた」

  これは二人にとつて意外、且つ落膽する論評でした。

  慶子が反論します。

        「命が大切つて自然な感情だと思ひますが」

  それは平和な時代の考へ方だと、應答した相手が更に言ひ募(つの)ります。

        「我々は日本が滅ぶかどうかといふ戰ひをしてゐた。

        「自分が死んでも國が殘ればよい、と」

  先づ、戰後價値觀と戰時價値觀が真向から衝突します。


  歸り道で慶子が述懷します。

        「私は反戰思想の持主だから

        「おぢいさんには勇敢な兵士であつて欲しくないけど、

        「それとは別に、がつかりしたわ。

        「特攻隊員つてもつと勇ましい人と思つてゐたのに……」


  次に會つた隊員は

        「確かに勇敢ではなかつたが、優秀なパイロットでしたよ」

  と言ふので少し救はれますが……。


  斯 (か) くして祖父を知る人に會ふ度に祖父の實像が薄紙を剥ぐやうに明かになり、

  最後に實に立派な人だつたと判明する、といふお話です。


  詳しくは直接讀んで頂くことにして、

  以下幾つかの論點について觸れて置きませう。



        傍觀者の評論は無理解無責任


  第一の論點は、あの戰爭を外から批判するかどうかです。


  書中に朝日新聞らしき新聞社の記者が、特攻をテロと斷じ、

  ニューヨークの貿易センタービルに突つ込んだテロリストと同じく

  熱狂的愛國者の殉教だと斷定します。


        「カミカゼアタックの人たちは國家と天皇のために命を捧げる

        「狂信的な愛國主義者です。

        「彼等の殉教精神は、現代のイスラーム過激派の自爆テロと共通します」


  特攻とは、皇國思想に教化された狂信者の成せる業(わざ)だといふのです。


  あの戰爭について何も知らぬ姉弟は、違和感を感じつつ、さうかも知れぬとも思はされます。

  この冷笑的評論は、文中で元特攻要員からきつーい反論を蒙(かうむ)りますが、

  本人は納得した風ではありません。

  死んでも悔改めぬ“擬似知識人" です。

  己の獨斷・獨善を讀者に押附け、世論を指導してゐる積(つもり)になる人です。


伊原註:この新聞記者は、元特攻要員 (特攻隊の豫備要員) に言ひます。

        特攻隊員とは、洗腦されたテロリストだと。

        元特攻要員は怒鳴ります。

        「ふざけるな!

        「自爆テロの奴らは無辜の市民を殺戮の對象にしてゐる。

        「我々が特攻で狙つたのは爆撃機や戰鬪機を積んだ空母だ。

        「米空母は我が國土を空襲し、一般市民を無差別に銃爆撃した。

        「それを狙つた特攻が、何でテロリストなんだ?」


        そして斷乎として言ひます。

        「君の政治思想は問はない。

        「しかし、死を決意し、我が身亡き後の家族と國の前途を思ひ、

        「殘る者の心を思ひやつて書いた特攻隊員たちの遺書の思ひを讀取れぬ男に、

        「ジャーナリストの資格などない!

        「淺はかな智慧で特攻隊を論ずることは止めて貰はう!」


        これでも全然反省せずに冷笑しつつその場を去りますから、

        左翼リベラル ジャーナリストとは、

        「死んでも悔改めぬ現状破壞者」ですねえ……



              官僚化してゐた海軍將官


  第二の論點は、海軍將官への批判です。

  四歳上の姉慶子が言ひます(365頁以下)。

        「私、太平洋戰爭のことでいろいろ調べて見たの。

        「それで一つ、氣がついたことがあるの」

  海軍の將官クラスが「弱氣」だといふのです。


  弟健太郎が

        「日本軍て、強氣一點張りの作戰ばかりぢやなかつたのかな」

  と反問すると、姉曰く、

        「強氣といふより、無謀な命知らずの作戰を一杯やつてゐる」

  ガダルカナル然り、

  ニューギニア然り、

  マリアナ沖海戰もレイテ沖海戰もインパール作戰もと擧げて

        「でもそれは、自分が死ぬ心配が一切ない大本營や軍令部の參謀が考へた作戰だから」

  自分が指揮官になつてゐて死ぬ可能性がある時は物凄く弱氣になる、

  勝ち戰(いくさ)でも反撃を恐れて直ぐに退くのよ、と。

  著者は遠慮して「弱氣」と書いてゐますが、「臆病」と書きたかつたのではないでせうか。


  實例は以下の通り。


  眞珠灣で第三次攻撃をしなかつた南雲長官。


  珊瑚海海戰で敵空母を沈めながら、

  主任務のポートモレスビー上陸部隊を引揚げさせた井上長官。


  ガダルカナル緒戰の第一次ソロモン海戰で敵艦隊をやつつけただけで、

  主目的の敵輸送船團を撃破せずに引揚げた三川長官。

  このとき輸送船團をやつつけてゐれば、

  後のガダルカナルの悲劇は無かつたかも知れないのに、と。


  海軍長官臆病論の極め附けが、レイテ海戰の栗田長官の反轉です。

  この時レイテに突込んで戰艦大和の主砲で艦砲射撃してゐれば、

  上陸早々のマッカーサー軍は

  砂浜に積上げてあつた武器彈藥食糧を全部失つて

  反撃能力を無くしてゐた筈なのに!


  慶子曰く、

        「海軍の場合、さういふ長官が多すぎる。

        「もしかしたら構造的なものがあつたのではないかしら」


  「構造的」といふのは、

        これらの將官連は皆選りすぐりの秀才、超エリートで、若い時に實戰經驗がない。

        机上の空論と死ぬ心配のない演習の經驗しかない官僚だから、

  といふのです。


  更に曰く、

        「彼らはどうやつて敵を撃ち破るかではなくて、

        「いかに大きなミスをしでかさぬやうにするかを第一に考へて戰つてゐた、

        「といふ氣がしてならないの。

        「海軍の長官の勲章査定は、軍艦を沈めるのが一番。

        「艦艇修理用のドックや石油タンクを破壞しても、輸送船を沈めても、

        「査定ポイントが上がらないのよ。

        「だからいつも後回しにされる」


  その通りですね。

  大東亞戰爭は南洋の資源を取りに行つたのに、

  海軍はそれら資源の輸送も、輸送船團の護衛もするつもりが無かつた。


  海軍軍人は、敵艦を沈めることしか頭に無かつたのです。

  (個々の戰鬪行動が全て、政略・戰略といつた大局は考へず)

  これが、帝國海軍が米海軍に勝てなかつた最大の理由です。



        戰後日本の變化の二段階


  第三の論點は、戰後の日本が二段階で變つたといふ指摘です(357頁)。

  「戰後の人々は戰前の人々とはまるで違ふ人達だつた。

  「しかしそれは終戰直後の混亂と貧困による一時的なものだつた。

  「多くの日本人には人を哀れむ心があり、温かい心を持つてゐた」

  「本當に日本人が變つてしまつたのはもつとずつと後のことだ」


  第一の變化は、敗戰による變化です。

  内地の人々は、復員軍人に冷たくなつた。

  これは特に、飢餓に直面したことが大きい。

  敗戰・燒け跡・インフレ・職場も家もない所へ更に人が殖えるのですから、

  復員者に冷たくなつた。


  しかし戰前生れ・戰前育ちが敗戰の悔しさと

  戰爭中の經驗(量産への工夫を含む)をバネに戰後奮鬪して

  高度成長を實現しました。


  その成果が、第二の變化を生みます。

  「新人類」と稱ばれる若者が育つた。

  日本人が變質したのです。

  本書では、

        自由と豐さを謳歌した陰で大事なもの(道コ)を失つた、

        利己主義が蔓延(はびこ)つた

  と書いてゐます。


  傳統が育んだ日本人の美コをどう取戻すかが、今後の課題です。

  取戻せなければ日本は滅びます。

(平成26.5.2/6.9加筆)