陳文賢 「 台湾の国連加盟は米国の目標でもある 」

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伊原注:下記は、台湾の新聞 『 自由時報 』 の投書欄に載った論説です。

なかなか面白いので、訳して掲載します。ご参考までに。




陳文賢 「 台湾の国連加盟は米国の目標でもある 」


陳文賢=米国フロリダ大学政治学博士。台米関係史専攻。現在、台湾国立政治大学教授。


   陳文賢 「 美國一中政策 不是理由 」 ( 自由廣場 『 自由時報 』 6.20, 15面 ) :


  報道によれば、米国国務省の官員が、米国の 「 一中 」 政策を理由に、米国は台湾が主権国家を会員資格とする国際組織に加盟することを支持せず、陳総統に台湾の名義で国連加盟の可否を問う公投をやめるよう求めている。


  周知のように、米国政府はその 「 一中 」 政策は米中間 の 3コミュニケ 及び台湾関係法 に由来すると言続けてきた。だが1972年の上海コミュニケ も 1979年の国交樹立コミュニケ も 台湾の国際組織参加問題に触れていない。僅かに 1982年の上海 「 817 」 コミュニケ が米国 は 「 『 二中 』 『 一中一台 』 政策を執行するつもりなし 」 と言及した。これが或いは米国が台湾の国連加盟を支持をさせない原因かもしれない。だが台米中の相互連動の歴史からして、 「 一中 」 政策が米国に台湾の国連加盟を支持させぬ真の原因とは思えない。


  1950年に朝鮮戦争が勃発して以来、米国も 「 一中 」 政策を採用した。当時、台北にあった国民党政権を国連代表として全中国を代表する政府と認めていたのである。但しこれは、米国の歴代政権が中華人民共和国と関係正常化を進めるのに何ら障碍とはならなかった。


  1970年, 1971年 には 米中間に国交がなかったが、ニクソン大統領は 中華人民共和国が国連に加盟して安保理常任理事国の ポスト を 占めるのを何ら妨げなかった。しかも 同時に中華民国政府が国連の通常の会員國として留まっても何ら支障なかった。これは当時 「 二重代表権 」 と言われたものである。だが当時、蔣介石が 「 漢族不両立 」 政策を採ったため、米国の 「 二中 」 策略は成功しなかった。


  1971.10.25 国連第26回総会が第2758号決議案を通過し、蔣介石の代表を国連と関連する全組織から追放した。それでも米国は引続き1978年まで中華民国政府と外交関係を続けた。もし現行の 「 台湾海峡の現状改変 」 という言い方を援用すれば、米国は常にその国益に応じて平然と台湾海峡の現状を変えてきたと言える。


  台湾関係法第四条 D項目の規定、 「 本法律のいかなる条項も、台湾をいかなる国際金融機構またはその他の国際組織における継続的加盟権からの排斥または放逐を支持する根拠と解釈されてはならない 」 は、米国政府が、国家を条件とする国際組織に台湾が加盟することを支持しない根拠にならない。事実、台湾は アジア開銀及び APEC の メンバーとして米国の支持を得てきた。


  また台湾関係法第二条 C項は こう明言する。

  「 本法律に含まれるいかなる条項も、人権、特に1800万人の台湾全住民の人権に対する合衆国の利益に反してはならない。台湾の全人民の人権の維持向上が合衆国の目標であることを、ここに再び宣言する 」

  台湾の国連加盟は、台湾人民の重大な人権であり利益であるばかりか、米国の目標でもあるのだ。

  米国政府は 「 一中 」 政策を以て台湾の国連加盟を支持しない理由にしているが、歴史の事実からして明らかに牽強付会である。


  台湾の国連加盟は 長期的には米国の東アジアに於ける利益を強化するのだ。双方はこれを高層会談で取上げるべきである。米国は已に国交のない北朝鮮と会談を重ねており、過去にも国交のない中華人民共和国と対話してきた。それなら現在、国交のない台湾との協議を避ける必要はどこにもないではないか!