「習近平南巡的政治意義」

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            陳  華昇


                (台灣、國家政策研究基金會副研究員)


        「習近平南巡的政治意義」

                        (時論廣場『中國時報』2012.12.15,21面)





伊原註:上記はちよつと古い記事乍 (なが) ら、

        最近、「習近平政權の中國」について報告する必要あり、

        昨年12月の『中國時報』を見返してゐて、參考になりさうなので、譯しました。

        習近平は一見 穩かさうでゐて、實は強情で執念深い男です。

        弱體政權強化のために樣々な手を打つて來る筈です。

        その彼が、中共18全大會(第18回黨大會) で總書記に就任したあと、

        何をしたかを承知して置くことは大事だと思ふので、

        遲ればせながら掲載してをきます。





  中共總書記 習近平は 就任して1ケ月も經たぬ 12月7日、

  王滬寧・栗戰書・汪洋ら 新任政治局委員を引連れて廣東・深圳に赴いた。


  習近平の初巡回訪問の旅程は、

  胡錦濤が 10年前に就任後の初訪問地として毛澤東の革命の故地 西柏坡を視察して

  象徴的意味を持たせたのとは、大分 意味が異る。


  また、中共の公的メディア が 初め習近平の南巡を報道せず、

  香港メディア が 報道してやっと新華社が 12月10日に關連情報を流したことからして

  習近平の廣東訪問は“尋常ならざるもの" であつたことが窺える。


  習近平は總書記就任直後に、腐敗幹部を連打したあと、飛鳥の如く廣東を視察した。

  經濟改革の發展状況を視察し、深圳に母 齊心を訪ねた。

  ケ小平の銅像に獻花もした。

  中共の政局が變化發展する中、習近平のこの一連の政治行動は、

  以下に示す何重もの意義が認められる。



  第一に、今の所、江澤民・胡錦濤・習近平は、三人とも中共の政局への影響力が大きい。

  この三台の馬車の統治方式のうち、

  習近平の廣東行は、20年前のケ小平の南巡と比較されることを予期し、

  「斷固たる意志を以て改革開放路線を進める」ことを宣言する意味がある。


  その目的は明確だ。

  ケ小平路線の正しさと優越性を掲げて、

  胡錦濤・江澤民から來る筈の政治壓力を避 (よ) け、

  中共新指導集團を改革開放の旗の下、政策決定の主導權を握るにある。


  またこの行動を内外に示して、

  政治局常務委員會に江澤民系人物が多く、保守色濃厚なため、

  習近平が

  政策路線上も上海幫・江澤民系勢力下にあると思はせぬよう仕向ける意圖がある。



  第二に、中共18全大會で高層の權力分配が定まり、派閥競爭が一段落したあと、

  習近平が改革の重鎮・開放の先驅 廣東を視察したのは、

  改革政策が中共中央の今後の施政の主軸であることを示し、

  實際行動で以て改革の意志を示したものである。


  更に18全大會に於る權力鬪爭に敗れた改革派を慰め、

  今後 改革派と協調協力する餘地を獲得するためである。


  同時に 近く招集する中共經濟工作會議の基調を定めるためでもある。

  今後、ケ小平が進めた改革開放を中共の經濟建設の總路線に据えるものであり、

  これ即ち 習近平が今回、深圳で説いたやうに、

  中國は今後「富國富民路線」を歩むぞといふ號砲なのだ。



  第三に、各方面が案じてゐる

    「大陸は左派意識が高まり、保守勢力が擡頭中」

  との懸念に對しては、

  習近平は深圳に赴いて母 齊心を見舞ひ、

  世人に對して父母が定年退職後、深圳に定住した重大意義を知らせた。


  高位 (副首相) にあつた父 習仲勲は、文革で失脚した。

  文革後は廣東省黨委書記に復活し、經濟改革と特區建設を進めた。


  その後、六四天安門事件前後に、

  趙紫陽の改革路線を極力支持して中共高層 (ケ小平) の機嫌を損ね、

  退職後 深圳に移住した。


  それが今、習近平がわざわざ深圳に足を運んで

  父母が一生懸けて奮闘した改革精神を稱揚して見せたのである。


  消極面では習近平は、

  もはや文革左傾や保守派の「治理整頓」(肅清) の古い路線は採らぬことを示し、


  積極面では

  父習仲勲の對内改革・對外開放の進取路線を引繼ぐと表明して、

  身を以て經濟改革・經濟建設を施政目標にすることを示して見せたのである。



  第四に、習近平は廣東視察に改革派・共青團派の汪洋を伴つた。

  習近平は廣東の最近の政經改革を稱揚してをり、

  その今後の更なる發展を勵ましてゐる。

  これは間違ひなく汪洋の廣東統治活動と廣東の發展モデルの肯定であり、

  汪洋の廣東統治の後繼者に對する期待を示すものである。


  ここから見て取れるのは、

  今後も習近平は各省市區視察の旅を續けるであらうけれども、

  その際、地方幹部の支持を得て、勤政・親民・改革のイメージを作り出し、

  中央と地方の良き關係を強化するであらうといふことだ。



  中共18全大會後の政局が一段落したあと、人事改組が權力鬪爭を誘發し、

  中央新指導部發足後の主要派閥の政策路線の揉み合ひが

  高層指導者間に緊張を齎してゐる。


  そこへ更に外國メディアが

  習近平の今回の廣東視察を1992年のケ小平の南巡と同一視して

  「新南巡」と稱 (よ) ぶ有樣。


  だが、時間空間環境が當時と異る上、

  習近平の南巡の政治的配慮及びそれが生む效果や影響は、

  ケ小平の南巡と違つて當然である。


  それでも、習近平の廣東行は、ケ小平の改革開放路線を再び高く掲げたもので、

  胡錦濤の18全大會政治報告中にある

    「不走老路不走邪路」

        (舊左派路線を歩まず、文革のやうな誤つた路線を歩まず)

  に合致するものである上、

  思想上 理論上 胡錦濤・江澤民の政策指導を超えて、中國人民に直接訴へ掛けてゐる。


  習近平が訴へた改革開放路線は、

  中國大陸の今後の發展方向を示すと同時に、

  胡錦濤・江澤民ら元老の政治介入を防ぎ、

  自らの指導的地位と權力を固める效果を持つ。



  要するに 習近平の廣東巡視は、熟慮の末に斷行した政治策略である。

  中共の複雜極まる派閥政治の中、食ひ違ふ政策路線を調整し、

  習近平の施政方向を明示し、

  中共黨政指導上の基盤固めをしたものである。

(平成25年/2013年 3月23日譯)




伊原註:以上です。

        最後に一言 (ひとこと)、

        習近平の廣東巡視は「熟慮斷行」したものであつても、

        狙つた效果が思ふやうにあがつたかどうかは、別問題です。

        そして平成25年3月現在、

        日本から見る限り、

        習近平の印象は、「改革開放の推進者」であるより、

        事ある毎に軍に臨戰體制を呼掛ける「軍國主義者」といふ印象の方が

        斷然強いですね。


        下記のやうな本も出てゐます。


        楊  中美『習近平が仕掛ける新たな反日』(コ間ポケット、2012.10.31)

        宮崎正弘『習近平が仕掛ける尖閣戰爭』 (並木書房、2012.12.5)

        林  建良『中國ガン:台灣人醫師の處方箋』 (並木書房、2012.12.25)