現代文明のひ弱さ-伊原教授の読書室

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室




    現代文明のひ弱さ



伊原註: 『 關西師友 』 平成24年10月號 8-9頁に載せた 「 世界の話題 」 No274です。

        若干 手を入れてあります。





          合理主義は限定的にしか使へない


  私は若い頃、合理主義者でした。


  例へば、  正座は脚の血行を惡くすると考へ、胡座 ( あぐら ) に變へました。

  やつてみて、胡座は姿勢を惡くすると悟り、正座に戻りました。


  背中が丸くなり、前屈 ( かが ) みになつて、背骨が正しい姿勢のS字型を保てないのです。

    ( 尻の下に座布團を二つ折りにして尻を高くすると、正しい姿勢に近附きます )

    ( パソコンも、姿勢を前屈みにさせる惡い道具ですねえ…… )


  尤も其後兩膝を痛め、正座できなくなりましたが。

    ( だから、胡座をかく時は、座布團で尻を高くして坐ります )


  合理主義は、限られた枠内では有效ですが、無條件で正しい譯ではありません。


  社會思想史の講義で社會主義を論じた際、私はその“根本的" な問題點を二つ見附けました。


  第一、共同體は、顔見知り關係が成立つ小集團でしか存立しないこと。

  大多數が見知らぬ人であるような大社會では 「 共同體的人間關係 」 は成立ちません。

  國民が 「 想像の共同體 」 で有り得るのは、強力な敵國民との競り合ひがあつての話です。


  第二、家を建てる時、人は設計者と充分打合せて好ましい棲家を考へます。

  それがいざ住んでみると、あちこち使ひ勝手の惡い所が出て來る。

  たかが一軒の家でもさうですから、何百萬、何千萬の國民を擁する一國となると、


  いくら賢い人を集めて立案しても、具合良く運營することなど出來つこない。

  智慧者が設計すれば、資本主義の無駄を省く能率的社會が實現するなど、お伽噺に過ぎません。

  そんな無謀な實驗をソ聯は70年も大勢捲込んで續けたのですから、觀念の破壞力恐るべし!


        序に書いてをくと、

        福祉國家論では私はかう言ひました。

        「 福祉國家は成り立たない。

        「 理由は簡單、

        「 受け手を殖やし、與へ手を減らすからである。

        「 受け手が殖えるのは、誰もが受給を 『 當然の權利 』 と思ふやうになるからである。

        「 與へ手が減るのは、福祉國家では平等思想が普及して、

        「 高級取 ( つまり多額納税者 ) を尊敬しなくなるからである。

        「 斯 ( か ) くて福祉國家は必ず財政破綻に行き着く 」 と。




          人智は淺はか、謙虚なるべし


  人智は淺はかなのに、人は屢々それを盲信します。

  特に技術者は、自分の設計が最善と信じ易いのです。


  私が神戸大學に通學してゐた當時、神戸市長は工學博士で、

  「 山を削つて海を埋め立てれば土地が倍できる 」 と考へ、人工島を幾つも造りました。

  この人工島は、阪神大震災の時に液状化して被害を擴大したことはご存じの通りです。

  山の削つた土地も、削つた部分は良くても、

  盛り土した部分は弱くて、地震の被害は甚大でした。


  貝塚は例外なく小高い丘の上にあります。

  古人は低地には住まなかつた。

  津波の危險からの回避といふ前に、河川による洪水の危險があつて、

  海沿ひの低地は、耕すことも住むことも難しかつたのです。


  日本で平野を耕し人が住み始めるのは、

  戰國末期に土木工事技術が發達し、洪水を防げるやうになつてからです。


  だから天下泰平の江戸時代初期、耕地が急擴大し、人口が倍増しました。

  そして津波の大被害が出るやうになつたのです。


  人智が淺はかといふと、思ひ出すのが今は亡き母の言葉です。

  「 年とらんと判らんことが仰山ありまつせえ 」


  例へばエスカレーターです。

  下りのエスカレーターが出現した時、私は

  「 下るのは樂なのに、何でエスカレーターが必要か 」

  と疑問を感じました。


  でも、膝を痛めてからは、上りより下りの方が遙かに困難であることを悟りました。

  エスカレーター設置者は膝が痛む年になつてゐないので、上りを先に設置するのです。

  年寄りが殖えた現在、エスカレーターは上下一組で慾しいです。

  上りのエスカレーターしかない階段を、ゆつくりゆつくり降りる時には、

  つくづく母の言葉を反芻します。


  そして思ひます。

  若さとは、人生經驗未熟で淺はかの代名詞なのだと。


  子供に漢字は難しい筈だから、

  劃數の尠い文字から教へようと考へる大人も同じく淺はかです。


  扨 ( さ ) て、現代文明生活は、至れり盡せりの便利快適な環境を創り出しました。

  でもこれは、人類弱體化の危機を招き寄せるものではありませんか。


  文明の利器に頼ると、自立能力が劣化します。


  大東亞戰爭中に日本人は米軍の無差別爆撃によつて大勢が燒け出されましたが、

  みな身一つで生き延びました。

  誰も國家や自治體や他人の救濟を待つたりしなかつた。

  自分で自分の生活の面倒を見ました。


  今は、災害時にはひたすら救ひを待つしかない、ひ弱な人が殖えました。

  都會人は、さういふ 「 弱者 」 の典型です。


  田舎の人も、食糧は自給できても、

  電氣やガソリンの供給が止まれば、忽ち立ち往生します。


  現代文明は、人類を弱者の大群にしました。

( 2012.8.26/10.22補筆 )