政治家と歴史-伊原教授の読書室

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      政  治  家  と  歴  史



伊原註:以下は、 『 關西師友 』 平成24年3月號掲載の 「 世界の話題 」 No 267 です。




                政治家と歴史の學習


  1月に台灣の總統選擧を視察に行つた時、

  二日間行動を共にした産經新聞OBの澤 英武さんから、耳寄りな話を聞きました。

  西獨の首都ボンに駐在してドイツと歐洲の取材をしてゐた澤さんによると、

  ドイツでは、夕食後は政治家の取材をしないといふのが

  ドイツ・メディア界に於 ( おけ ) る暗黙のしきたりだつたさうです。


  何故なら、晩は政治家にとつて、歴史を勉強する時間だからださうです。

  この話に感服すること頻 ( しき ) りでした。


      伊原註:ここで一言。この頃新聞では 「 晩 」 が死語となり、專ら 「 夜 」 を使ひます。

              晩は日が暮れてまだ起きてゐる時間、

              夜は寝る時間、です。

              きちんと使ひ分けるべきです。

              もう一言。メディアはやたら 「 受身 」 を使ひます。

              「 驚いた 」 と言はず、 「 驚かされた 」 一邊倒です。

              能動性・積極性を喪つて退嬰的になつた戰後日本の象徴?

              とぼやきたくなります。


  歴史は政治家にとつて事例集であります。

  だから成功例も失敗例も學習して頭に入れて置けば、決斷に迫られた時に應用が效きます。


  私は若いとき、 「 七度 ( ななたび ) 生れ代つても歴史を學び續けたい 」 と考へました。

  圖書館に住込むことも切望しました。

  せめて圖書館は、毎日、それも二十四時間、開いてゐて慾しいと望みます。


  閑話休題。


  所で、 「 前例 」 を學べば適切な判斷が出來ませうか?

  歴史を學ぶのは、洞察力を磨くためです。

  そのためには、人 ( 自分も他人も ) を熟知してゐなければなりません。


  そして人を熟知するために必要なのは、一にも二にも先づ體驗です。

    ( 今の子供はテレビ其他、間接經驗だらけ過ぎます )


  幼時に兄弟や近隣の同年配と取つ組み合ひ、ほたえ合つて

  皮膚感覺で他人との距離感を身につける。

  ここで人は、他人と附合ふ 「 生活の智慧 」 の第一歩を學ぶのです。


  核家族・少子化・高度成長が子供から社會生活の貴重な場を奪つた罪は巨大です。

  昔は祖父母と同居し、日常生活の中で祖父母の生きる智慧を會得 ( ゑとく ) したのに!


  限られた體驗を補ふのが、古典と文學です。

  特に文學は人の樣々な類型の葛藤を扱つて有益です。

  文學部が流行らぬ今は、生活の智慧を學ぶ機會が極端に乏しくなつてゐます。

  憂慮すべき事態であります。


  傳記は歴史と共に、

    「 かういふとき、自分ならどうするか? 」

  を考へて讀めば、見識を養ふ上で頗る役立ちます。


  歴史は一皮めくれば違ふ景色が見え、二皮めくればまた違ふ光景に出遭ふ。

  だから歴史は盡きぬ興味を惹くのです。

  ですから何度でも讀返し、組立て直さねばなりません。

  そして、歴史を學ぶほど面白く興味深い作業は滅多にないのです。


                歴史を學ばなかつた政治家


  歴史をよく學んだ政治家は無數にゐます。

  江戸期は政治家も庶民も歴史をよく知つてゐました。

  英國人も傳記と歴史が大好きです。


  『 米歐回覧實記 』 に登場するビスマルクは、よく歴史を知る政治家の一人です。

  彼の有名な言葉、 「 愚者は經驗に學ぶ、賢者は歴史に學ぶ 」 を想起されよ。


  歴史を知らぬ政治家の隨一は、九一一後に灣岸戰爭を發動した若ブッシュ大統領です。

  彼はイェール大學卒業。

  歴史が好きだつた、ハーヴァード大學大學院で歴史を學んだと?してをります。

  米國の名門の出と言つて宜しいが、それならどうして

    「 米國は日本を軍國主義から民主國に變へた。今私はイラクを民主國に變へて見せる 」

  と言つたのでせう。

  戰前から民主主義を實践してゐた由緒ある日本と、

  部族社會のイラクを並べるのは、歴史を無視した暴論です。

  それに、民主主義には成熟した中産階級の存在が不可欠なことは常識なのに!


  古典の愛讀家であつた大平首相も、隣國のことはご存じなかつた。

  賠償代りに莫大なODAを與へたからです。

  この隣國は、日本がいくら奉仕しても感謝せず、恩を仇で返し兼ねぬ相手なのに。


  日本は敗戰時に賠償金を支拂つて餘りある公私の資産を召し上げられてゐます。

  これは、賠償金支拂時には全部 「 賠償 」 として計上された筈のものです。

  それを彼の國の人は 「 賠償金を負けてやつた 」 と言ひ募ります。とんでもない!

  中には、日本人の中にまで 「 賠償金は拂はなかつた 」 と思ひ込んでゐる人がゐます。

  ちやんと歴史を勉強なさい、と説教したくなりますねえ。

  己の無知無學により、自分らの先輩を貶 ( おとし ) めてはなりません。


  日中關係史については、無數の先人の書があります。

  手近かのものとして、

  黄文雄 『 近代中國は日本がつくつた:日清戰爭以降、日本が中國に殘した莫大な遺産 』

        ( 光文社、2002.10.30 ) や、

  同じ著者の 『 中國が葬つた歴史の新事實:捏造された 「 日中近代史 」 の光と闇 』

        ( 青春出版社、2003.12.10 )

  位は讀んでをいて下さい。

  別宮暖朗 『 失敗の中國近代史:阿片戰爭から南京事件まで 』 ( 並木書房、2008.3.20 )

  といふ本もあります。


  大平首相は、かういふ歴史をご存じなかつたのでせう。

  日本を不當に敵視する國に、莫大な資金を貢 ( みつ ) ぐ緒 ( いとぐち ) をつけたのです。


  歴史を知らぬと、敵味方の判別がつかなくなり、我が身を亡ぼす決斷を下してしまひます。


  米國は日本と戰つてその手強さが身に沁み、

  メディアと學校教育を總動員して日本惡者史觀を刷込みました。

  また、現代假名遣・略字・漢字制限を實施して、戰後世代に戰前の書物を讀めぬやうにしました。


      伊原註:國語いぢりの最大の缺陷は、語彙 ( ヴォキャブラリー ) の激減です。

              語彙の尠い人の思考は薄つぺらになります。

              つまり、戰後の日本人の頭は、戰前の日本人より、うんと幼稚化してゐるのです。

              それにテレビやウォークマンで 「 考へる力 」 と 「 考へる時間 」 を奪はれて

              ゐますから、戰後日本人の幼稚化はとどまる處を知らぬ有樣です。

              正に“憂慮すべき事態" なのです。


  この日本弱體化教育は、今なほ續行中ですぞ!

( 平成24年2月2日/3月2日補筆 )