昭和男の嘆き-伊原教授の読書室

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    昭  和  男  の  嘆  き




伊原註:これは、 『 正論 』 2005年3月號 「 エッセー特集・内なる明治 」 39-40頁

        に掲載した舊稿です。

        「 指揮者と參謀 」 が提起した問題、

        「 江戸期は指導者を養成したが、明治期は參謀しか養成しなかつた 」

        を例證する文章です。

        關連があるので、再掲します。

        ほんの少し補足・書換へをしました。





  日露戰爭百周年。

  日本の安全保障を確立した輝かしく誇るに足る戰爭であつたが、

  實は、對米戰爭より餘程“無謀な" 戰爭であつた。


  敵の首都はおろか、北滿に攻め上る國力さへ當時の日本になかつたからである。

  日本の 「 ひ弱さ 」 を知る元老は、だから開戰を澁りに澁つたが、

  學校秀才の第二世代は、開戰に向つて突進した。

    ( 日清戰爭でも日露戰爭でも、明治大帝が一番躊躇された )


  昭和 5年 ( 1930年 ) に生れた私にとつて、人生最大の出來事は、

  中學四年生で迎へた昭和20年 ( 1945年 ) の敗戰である。

  日本はなぜ、負ける戰爭をしたか?


  原因は、明治に潜んでゐた。

  日本にとつて日清・日露の兩戰役は、國力不相應な戰爭であつた。

  明治天皇が、それを見抜いて居られた。

  無理な戰爭を勝ち抜いたのは、指導者が優れて居り、

  彼を知り我を知つて、冷靜且つ的確に對處したからである。


  かういふ優れた指導者を育てたのは、江戸時代の教育である。

  庶民に讀み書き算盤を叩き込み、

  藩校では文武兩道を通じて指導者教育 ( 為政者の心得 ) を徹底させた。


  幕末にペリー艦隊が來て、江戸期の教育の缺陷が露呈した。

  指導者と兵卒はゐたが、文明の利器を作る技術者や專門家がゐなかつた。


  そこで明治の教育は、讀み書き算盤と愛國心の初等教育を義務化すると共に、

  高等教育をすべて、外國語が讀める專門家の養成に切換へた。

  帝國大學は官吏 ( 即ち近代化の幕僚 ) の養成機關、

  陸軍大學校・海軍大學校も、將軍は養成せず、中堅將校用の戰術教育に終始した。

  だから參謀は育つたが、司令官が身につけるべき一般教養 ( 人間學 ) が無かつたばかりか、

  戰略教育も、戰爭經營論も教へなかつた。

  だから陸大・海大卒の參謀は、戰鬪で勝つことしか考へず、

  戰爭經營は勿論のこと、

  戰鬪に勝つための兵站や情報さへ輕視した。


  專門教育は忽ち缺陷を暴露する。



  先づ、帝國大學といふ官僚 ( 事務專門家 ) 養成機關の卒業生である

  加藤高明外相 ( 第二次大隈内閣 ) が、

  歐洲大戰 ( 第一次世界大戰 ) への參戰を急いで

  日本の火事場泥棒行為を警戒した英國と摩擦を起し、

    ( これは英國の身勝手だが、加藤外相の早合點がこじれの原因を成し、

    ( このこじれが、青島の權益を戰後 繼承し損ねる結果を生む )

  對支二十一箇條要求で米中を敵に回してしまふ。

  對支二十一箇條要求 ( 特にその第五項の暴露 ) は、

  日本 vs.米中 「 三十年戰爭 」 の始りとなる。



  次に、同じく帝國大學卒の幣原喜重郎外相の英米協調外交の破綻である。

  對米外交に關しては、

  責任の大半が、日本を蔑視した拙劣且つ身勝手な對日壓迫外交を展開した米國にある

    ( ジョージ・ケナン 『 アメリカ外交五十年 』 岩波書店、參照 ) 。

  然も、幣原の對米協調外交はカリフォルニヤの日本人排斥運動を抑止し得ず、

  幣原の對支軟弱外交はシナ人の日本輕侮を喚起しただけで、

  日本の國益を守れなかつた。


  國内では軍部の政黨輕視に拍車をかけ、

  日本の軍國主義化を促進する效果を發揮した。

  幣原外交は、現實より原則 ( 机上の空論! ) を重んじ、

  獨善に陷りやすい學校秀才の缺陷を露呈した。

  參謀 ( 立案者 ) が指導者になると、持論に固執して

  柔軟性を發揮しにくいのである。



  第三に、帝國大學出身の若槻禮次郎首相の滿洲事變追認である。

  統帥權を干犯して勝手に軍隊を動かした出先軍隊の獨走 ( 關東軍も、

  朝鮮軍の林銑十郎も ) は、斷固否認すべきであつたのに、

  暗殺を恐れた若槻は、獨走に豫算をつけて滿洲事變を追認した。


  學校秀才は決斷力に缺け、指導者には向かないのである。


  文官に劣らず、軍人も官僚化した。

  帝國海軍の如きは、對米戰爭中も

  business as usual とばかり、

  年功序列人事に固執して ミッドウェーの大敗を招いた。


  先例追隨の學校秀才が、昭和の敗戰を招來したのである。

  つまりは、指導者教育を忘れた明治の教育が、大日本帝國を滅ぼした。


  ところが敗戰後の日本は、それを反省するどころか、

  下司 ( ゲス。下衆とも書く ) がのさばり、偉人をこき下した。

  乃木大將愚將論がその象徴である。


  集團は、立派な指導者なしには存續できない。

  下司がのさばる世の中は亡びる。


  日本が生き延びるつもりなら、

  指導者養成が急務である。




伊原追記:

  これは、エッセイ欄に載つた文章だから、極く短い。

  いつもはかなり増補する ( 特に史實を ) が、今回は最小限にとどめた。


  下手に増補すると、とんでもなく長い文章になる。

  要點を把握して戴きたく、簡潔な原文を尊重して再掲した。


  私の狙ひは、 「 指揮者と參謀 」 の參考にして戴くことである。


  論點の掘下げは、別の機會に讓りたい。

( 平成23年/2011年 7月17日 )