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紹介
渡部昇一『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社、平成元年5.20/1500円)
渡部昇一『日本史から見た日本人・鎌倉編』 (祥伝社、平成元年5.20/1500円)
昭和48年/1973年に出た旧著の新版です。昭和編との三部作です。
それぞれに副題あり。
古代編=「日本らしさの源流」
鎌倉編=「日本型行動原理の確立」
昭和編=「立憲君主国の崩壊と繁栄の謎」
続刊も予定されていて、「戦国編」「江戸編」「明治編」と合わせて全六巻で完結の企画ですが、あとの三冊はまだ出ていないようです。
今回はこの中の最初の二巻を紹介します。
著者が本書を書いたのは、大学紛争の余燼収まらぬ昭和48年 (1973年) 夏だそうです。日本の良さを平然と踏みにじる大学紛争に遭遇して、「日本の良き伝統」を振返ったのが本書なのです。
もうひとつ、外国人を交えたくつろいだ席で「日本とは」「日本人とは」を語った日本文化史論でもあります。
渡部昇一は、外国留学の経験のほかに、教えた経験まであるので、話に国際性があります。日本史の出来事を始終欧米の出来事と比較論評するのも有益です。我国ではご存じのように、日本史学者は日本のことだけ、西洋史学者は西洋のことだけしか考えませんから、本書のような比較史的論評は知性に快い刺激を与えます。
歴史を語るとき、手練テダレ でないと様にならないのが概説であり史論なのですが、本書巻末に解説を書いた谷沢永一曰く、歴史好きになった江戸時代の日本人に史論を語った真打が、頼山陽の『日本外史』、渡部昇一の本書は、その頼山陽の再来だと言っています。気合のこもった力作です。
詳しくは直接御覧戴くとして、その触りをほんの二、三、紹介しましょう。
仁徳御陵は ピラミッドに非ず (古代編78頁以下)
日本では古代が今に繋がり、今も生きている。ピラミッド も万里の長城も遺跡だが、仁徳御陵は多摩御陵同様、祈りの対象であって見物の対象ではない。日本人の生活は、絶えず神話と繋がっているのだ、云々
日本は、現代がそのまま古代に連なる凄い国なのです。
日本文化と西欧文化 (古代編91頁以下)
日本文化=先祖の目を絶えず意識
「家名を挙げる」ことが最高価値
「家名を汚さぬ」が価値基準
西欧文化=絶対神 (ゴッド) を絶えず意識
敗戦後、占領政策およびそれと呼応した反体制勢力によって「家」が潰されて「個人主義」がのさばり、日本人は「近所の奥さんの目」しか意識しなくなりました。じいちゃん・ばあちゃんが家庭から追い出されて「核家族化」が進み、核家族の中から「自分の部屋に独居」して育ち、好き勝手やる我が儘者の大群が輩出し、社会生活・群居の倫理が雲散霧消します。
今や日本に家庭も近隣社会も存在せず。ばらばらの個人が「雑居」するだけ。傷つきやすくて裸のつきあいをようしないひ弱な人間だらけになりました。携帯電話を介して間接的な言葉の遣り取りをするだけ。
社会学者曰く、元来「群衆」とはばらばらの大群をいうのだが、今はそれでも追いつかず、「分衆」というようになった。さらにまたそれでも足りず、孤立を強調するため「孤衆」というようになった、云々。現代人は、満員電車の車中のように、ぎっしり集まっているくせに、徹底してばらばらだというのです。
現代日本人がいかにばらばらかを示すのが、「日本語を使えない日本人」が輩出している異常事態です。「敬語が使えない」なんて段階ではない。仲間言葉しか喋れない。他人とまともな意思疏通ができないのです。
日本社会は今や音を立てて崩れつつあります。
『万葉集』の偉大さ(古代編98頁以下)
ユダヤ人=神の前の平等
ローマ人=法の前の平等
日本人=和歌の前の平等
日本人は古代から現代まで、和歌は老若男女も身分貴賤も問わぬ平等性があったと。
伊原、憂えて曰く、今の若者は正月に百人一首をとらなくなっているから、日本の麗しの伝統から切り離されているのではないか??? →美的感受性を失った現代日本人?
江戸いろは歌留多もとらないから、江戸の庶民の智慧が伝承されていない。→知識はあっても智慧のない現代日本人?
こういう古典を読めなくした「当用漢字」「現代仮名遣い」の採用をした敗戦後の国語学者と文部省、それを後生大事に守って普及させた マスメディア は、日本文化を断絶させた元兇として、罪万死に値する!
仏教を日本化して取り入れた日本人 (古代編 121頁以下)
うーむ。長くなり過ぎるので、この辺でひとまず終えます。
鎌倉編からひとつだけ引用しておきましょう。
五度に亘る国体の変化 (鎌倉編16頁以下)
「日本の国体は変化すれども断絶せず」 (詳しくは渡部昇一『文科の時代』文藝春秋刊、参照)
第一回 587年、第31代用明天皇の仏教改宗。日本の神を祀っていた天皇が仏教を取り入れ、古い神道も棄てずに維持。
第二回1192年、源頼朝の鎌倉幕府創設。古代律令は残ったので、国体は変化せず。
第三回1221年、執権北条泰時の承久の変。天皇の継承を幕府が決めた。「主権在民」へと国体は変化したが、断絶はせず。
第四回、明治の立憲君主制の発足。天皇親政に戻したと称して実は機関説を採用。
第五回、敗戦による新憲法下の民主主義。天皇を政治から完全に切り離す。
(伊原曰く、これはやり過ぎ。明治天皇のように「問題が起きた時に臣下の要請を経て解決の方向を示す公平な調停者」であるべき)
「日本の良き伝統」についていろいろ考えさせてくれる貴重な本です。一読をお勧めします。
(平成19年6月16日記)