『 喪失の國、日本 』

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        M.K.シャルマ ( 山田 和 譯 )


  『 喪失の國、日本 』

        ──インド・エリート・ビジネスマンの日本體驗記──

        ( 文藝春秋、2001.3.1/5.10 第3刷 )   1762圓+税





設 問:日本は何を“喪失”したと、著者はいふのでせう?




  偶 ( タマタマ ) 古本屋で見付けて買ひました。それが、べら棒に面白い。


  日本人がインドに行くと、カルチャー・ショック が大きいのですが、逆もまた眞なりです。

  この著者 シャルマジー ( ジー=敬稱 「 さん 」 ) は實に聰明、

  見事な日本文明論を展開してゐます。

  いや、日印比較文明論ですね。私達には インド學習の手引書になります。


  所が紹介が難しい。面白い箇所を紹介して行けば、膨大なものになる。

  興味ある讀者は圖書館などで直接讀んで戴くことにして、簡潔的確を心掛けます。


        著者との出逢ひの不思議さ

  譯者は ジャーナリスト。インド 取材中、ニューデリー 南部の本屋で手作りの本書を見付けた。

  「 日本の思ひ出 」 といふ ヒンディー語の題は讀めたが、本文迄は讀めない。でも買つた。

  所がその直後、著者と、パキスタン との 國境に近い ラージャスターン の田舎町で出逢ふのです。

  山田さんはこれを 「 九億五千萬分の一の確率で出會つた 」 と言ひます。

  日本人なら、 「 御縁に導かれて 」 と思ひますね。

  著者が英文に譯して送つてくれたので本文が讀めた。その翻譯が本書です。


  著者の正式の名前=モーハンダース・カラムチャンド・シャルマ

  1955年生れ。バラモンです。本書を讀んだ限りでは、實に聰明な人です。

  1991年來日、1年 8ヶ月、日本に滞在したあと、辭職して歸國。

  日本で西歐流近代化の缺陥 ( 自然破壞・機械化・劃一化・一元的價値觀押付け ) を悟り、

  人間的な生活を求めて インド の田舎町に住みました。

  初戀の人 ( 商人 ヴァイシャ・カースト ) を胸に秘めてか、獨身生活を守つてゐます。


        占星術で出發日を決める

  インドで占星術がよく使はれるのは、誰もが自分の意見を主張して讓らぬからださうです。

  占星術を持つて來ないと、何時まで經つても事が決まらない。


  シャルマさんは、日本の市場調査に來たのですが、上司が偉い人で、

  「 在り來りの經濟調査などせんで宜しい。そんなものはインドに居ても判る。

  「 日本がどんな國か、ゆつくり見て來なさい 」

  と指示します。


  この逆に、日本がインドに派遣する人材は、インドの事情にもインド人の發想法・行動樣式にも無知な儘來る。だから失敗して歸るほかない、と指摘されて居ます。

  例一:肩書社會のインドに、肩書のない若者を送るから、相手にされない。

  例二:机から落ちた書類を自分で拾ふから、下層カースト扱ひされ、相手にされない。

  例三:論理で攻めず、情緒的對應をするから、相手にされず、孤立する、etc.


        カルチャー・ショックの數々

  成田に着いたシャルマジーが最初に注目したのが 「 インドと全く異つた潤ひのある風景 」 です。

  そして、 「 システム化された秩序 」

    ( 具體的には、前に人が立つと水が流れるトイレ、手を出すと出る水道の水 etc. )

  三番目に 「 ライフルを持つた警備員や軍人が一人も居ない町 」

  また、紙の帯封だけの札束。インドではホッチキスで止めてあるのに。

  「 これじや、抜かうと思へば誰でも抜き取れるじやないか! 」

  「 誰もさういふことをしないのか? 」

  ホテルに着いてトイレに入つてまた驚いた。

  便器に機械がついてゐて、樣々な押ボタンあり。

  「 トイレ一つ使ふにも樣々な操作知識が求められる! 」

  一番自由な空間の筈のトイレで緊張を迫られ、戸惑ふこと夥しい!


  日本に着くなりの カルチャー・ショック です。


        信頼が先行する國

  私 ( 伊原 ) は、現代日本=元祿から高度成長期まで、と言つて來ました。

    ( 高度成長期に 「 新人類 」 が育ち、日本人は變質しました )

  この時期の日本は高信用社會です。見知らぬ人も、先づ信じてかかる。


  シャルマジーは、日本に來るなり、これを悟ります。

  「 日本では、一面識もない相手を信じ、誰も裏切らない 」

  インドでは、荷物は片時も離さず、お札は互いの目の前で一枚一枚數へ、汚れてゐる札は突返す。

  甘い顔をすれば二日間の宿泊に三日分を要求したり、特別の税をつけたりして付込むので、

  それなりの對應を取る。

  ところがさういふ構へは、日本では不要なのだ。

  自分の荷物を置いたまま傍を離れる風景は、特に信じ難かつた。

  かくも 「 信頼が先行する文化 」 を實現してゐる國は世界でも非常に稀だと思ふ、と。


  別な カルチャー・ショック もあります。

  若い女が娼婦みたい。

  乞食が居ない。

  何處にも蠅がゐない。食品が溢れてゐるといふのに!


        日本料理は素敵なショー

  日本料理は、料理も料理店の店内も 「 藝術 」 だ、と。

  見事な統一感、頗るシンプルで清淨な感じ。


  カレーについての話が本書の重要議題の一つで話題も豊富、

  結論= 「 インドのカレーと日本のカレーは全く別の料理 」


  シャルマジーは 「 引越の話は明日に 」 と言はれて慌てます。

  「 ここは日本、明日とは間違なく明日のことです 」 と言はれてやつと安心します。

  インドでは:明日= 「 どうなるやら判らぬ 」

              今日= 「 これから直ぐに 」


        インドでカラオケは流行らない

  シャルマジーの許にカラオケの賣込が來ます。 「 インドに賣込みたいので宜しく! 」

  シャルマさんの意見= 「 インドでは絶對賣れない 」

    理由1=人前で歌を歌ふのは、インドでは乞食のカーストのやることである。

    理由2=個室スタイルは、テロリスト の秘密の談合場になるので、當局が許可しない。

    理由3=客は機械をいじくりまわし、忽ち壞してしまふ。

            因みに、日本では道具や機械はどれも完璧に機能してゐるが、

            インドではすぐ壞れ、直さず放置される。


        發情する少女たち

  日本の女の子は、10代後半に 「 性フェロモンを一氣に放出 」 する。

  「 女 」 であるのは20歳まで、21歳以上は 「 オバサン 」 と、彼女ら自身が稱ぶ。

  女である期間を自ら壓縮して、特權的な 「 女の夢 」 を手に入れたのだと。

  そして周圍にアッシー君、メッシー君、ミツグ君、ビデオ君を侍らし、女王として君臨する。

      ( 本書は觸れてゐないが、 「 援助交際 」 をして、金持ぢいさんにも貢がせる )


  男は 「 女王 」 に忠誠競爭をさせられる。

  そして、 「 このゲームの本當の勝者は經濟社會である 」

      ( 伊原曰く、この演出者は俗惡テレビである! )


        日本=木の文化/インド=石の文化

  シャルマジーは、日本を 「 木の文化 」 と見抜きます ( 213頁以下 ) 。


  法隆寺で同行した日本人が説明します。

  この寺は、世界最古の木造建築で、柱の一つ一つが山にあつた時と同じ方向で使はれてゐる。

  そうすることで、建物の耐久性が飛躍的に増すのだと。

      ( 皆さん、ご存じの通り、これは法隆寺の棟梁、西岡常一さんの説です )


  東大寺で見た 「 校倉造り 」 の説明。

  木材の濕度による膨脹を利用し、晴れた日は隙間から乾いた風を通し、雨の日は隙間が塞がれて濕氣が入るのを防ぐ。かくて室内は常に一定の濕度が保たれると。


  シャルマさんは感嘆します。日本人は樹木に何といふ深い理解を持つてゐることか!

  然もその理解が日本文化の全てに行渡つてゐるではないか!

  何といふ叡智。 「 日本は、思想と美學の全てが木と共振してゐる國だ 」


  シャルマさんによると、インド・ヨーロッパ・中國は 「 石 」 「 土 」 の文化です。

  これら諸國は コンクリート と本質的に同じ屬性を持つ。

  從つて コンクリート を受容しても、惡影響は受けない。


  しかし日本は違ふ。

  「 コンクリート は日本に合わない。決定的に違ふ 」

  「 日本の文化が木の文化として育まれた以上、木を捨てて コンクリート の文化を選べば、

  「 過去に蓄積して來た文化を繼承できなくなるのではないか 」


  著者の日本滞在中の 1992.12.6, インド北部の町 アヨーディヤー で發生した モスク破壞事件が、シャルマさんの運命に大きく關はります ( 216頁以下 ) 。

  ヒンドゥー教徒過激派 ( インド人民黨 BJP ) による燒討ですが、これがインド建國以來の世俗主義 ( 政教分離 ) を破壞し、シャルマさんの上司の辭任と、シャルマさんの辭任及び轉職を生みます。


  その前に、忠實な ヒンドゥー教徒であつた父との 「 齟齬 」 も生じます。

  父上はヒンドゥー教徒擁護的、シャルマさんは、もつと寛容なのです。

  この ムスリーム・ヒンドゥー の宗教的對立の底流に、

  イギリス の 「 分割統治 」 divide and rule の置土産がある、とも。


  宗教問題に日本人は疎いのですが、インドを考へる際に忘れてならぬ要點です。

  シャルマさんは、この事件が印パ兩國の核武裝を導ゐたと書きます ( 316頁 ) 。

  しかし私の知る限り、インドの核武裝が パキスタン に備へるものとは口實に過ぎず、實は中國に備へるためのものであります。だから、米國も容認したのです。


        三島由紀夫は民族主義者ではない

  シャルマさんは、日本に來る前に 『 金閣寺 』 を英譯本で讀んでゐました。

  そして三島由紀夫について、一家言を持つてゐて、本書でそれを展開します。


  『 金閣寺 』 の讀後感──

  「 頗る觀念的且つ哲學的作家 」

  「 人間心理に深い關心と洞察力を持つた、傳統や儀式を尊ぶ擬古典主義の作家 」

  戰時を舞台にし、登場人物の精緻な心理描寫を心掛けてゐながら、國家や民族や戰爭について一切書いてゐない。社會認識は完全に排除してゐる。登場人物は全て作者の分身で 「 他者 」 が存在しない。典型的な ノン・ポリ の作品だ。

  そこで我々は、作者が肉體的理由によつて兵役を免除され、戰爭を經驗しなかつた人物と結論した。主人公溝口が吃音者で、溝口の 「 影 」 的存在の柏木は内翻足の障害者であることからも、さう思つた。

  かくて、作者は肉體的コンプレックスを抱へた、人生を斜から眺める内向的人物、と考へた。


  來日後の考察──

  この推測は半分當つてゐた。

  三島由紀夫は徴兵檢査の際、醫師の誤診によつて即日歸郷となつたことを知つた。

  障害者ではないが、強い肉體を求めて ボクシング・劍道・ボディビル に凝つたことも知つた。


  しかし、あとの半分は的外れ。

  彼は内向的な人物どころか、何事にも積極的で、山羊でなく獅子、月でなく太陽だつた。

  武士道に憧れ、天皇制を擁護し、國體の喪失を憂へ、新左翼と公開討論し、憲法改正と再軍備を唱へ、改憲青年組織を創つて 「 腹切り 」 を決行した。

  その凛乎とした行動故に、行動派の民族主義的作家として、或は國士として、烈士として、多くの日本人に愛されてゐた。我國に於る チャンドラ・ボース のように熱狂的に、である。


  私 ( シャルマ ) が三島由紀夫を取上げる理由はここにある。

  彼を日本人が 「 國士 」 と評してゐることへの驚きである。


  三島事件の解釋は、當初から二つに割れてゐた由。

  一つは國士として。

  もう一つは、全てが作家としての ライフスタイル、つまり演技だつたといふ解釋。


  シャルマさん曰く、

  私は、後者以外にあり得ないと考へる。


  「 三島の identity は、生に對する 「 過剰なまでの ナルシシズム 」 である。

  「 『 金閣寺 』 と 『 腹切り 』 は全く同じもので、ノン・ポリ の最たるもの 」


  「 味方を鼓舞しただけで死ぬ民族主義者など居ません。

  「 死ぬなら必ず敵を倒します。

  「 日本人の判斷が分れてゐるのは、日本人が現在置かれてゐる情況の産物です。

  「 日本人は、三島=國士といふ解釋を通じて、

  「 心中特別なものを見出さねばならぬ時代に入つたことを感じてゐるのです。

  「 三島事件が今なほ話題なのは、戰後日本人の 『 失つた自意識 』 への焦燥感の現れで、

  「 日米安保が齎した必然的な現象です 」


  シャルマさん、更に曰く、

  三島由紀夫が起こした事件は、兵士として戰場へ征かず、命を惜しんだ記憶に苛まれた者が惹起した自己恢復行動である。

  彼は小説家としてこの世でありとあらゆる榮光を手に入れたが、戰時に自分が 「 兵隊にならなかつた 」 といふ コンプレックス から逃れられなかつた。この劣等感は、名聲を手に入れれば入れるほど、彼の心に強く自嘲の念を與へたに違ひない。

  三島がこの種の 「 人間の平等性 」 にどれだけこだはり、それを我が宿命のやうに感じてゐたかは、 『 金閣寺 』 の中で 「 障害者と娼婦 」 といふ形で語られてゐることから忖度できる。

  ……

  三島由紀夫は、男兒としての證明を、この世を去るまでに全人類に向けて成さねばならなかつた。

  さういふ激しい自己愛の衝動に驅られてゐたのだと私 ( シャルマ ) は思ふ。


  シャルマさんは、 『 金閣寺 』 を回し讀みしたデリーの友人の言葉を引きます ( 260頁以下 ) 。


  「 作者が描きたかつたのは人間じやない。ナルシシズム と その正當化だと思ふよ。

  「 作者は、主人公の溝口同樣、たつた獨りで居たい人物なんだ。なぜなら、その行為は他の誰に向けられてゐる譯でもない、自分自身に向けられてゐるからだよ。可笑しいのはさ、その彼が世間をあつと言はせること、つまり世間に認められることを望んでゐることだ 」

  それは、主人公の溝口が娼婦のまり子に對して寝物語に言ふ 「 一ト月、……さうだな、一ト月以内に、新聞に僕のことが大きく出ると思ふ。さうしたら、思ひ出してくれ 」 といふ台詞を指してゐる。

  今から考へても、この指摘は面白い。三島の自決が國家や民族に對するものでなく、自分自身に對する大義名分であつたといふ裏付を、友人は初期の作品の中に見出してゐるからである。


  シャルマさんの結論は、かうです ( 264頁 ) 。


  三島由紀夫は、己の劣等感を 「 觀客のゐない戲曲 」 を演ずることで克服して見せ、彼の希つてゐた 「 生 」 を奪回した。それだけでなく、壯大な虛構の世界を介して現實の世界に 「 王手 」 をかけても見せた。そして彼の狙ひ通り、彼の戲曲は死後、今なほ演じ續けられてゐると私は思ふ。


  私 ( 伊原 ) の感想:

  1 ) 三島由紀夫の自決を、彼の理想 ( 天皇を中心とする美的日本 ) からどんどん墮落して行く日本に對する 「 諌死+憤死 」 ( つまり公憤・義憤 ) と考へてゐましたが、シャルマさんの見方の方が、三島の全體像を捉へてゐるやうです。私は、三島の文學作品を殆ど讀んでゐませんから、解釋が一面的です。

  2 ) しかし、三島の 「 自決 」 がシャルマさんが言ふやうな 「 徹底的に ナルシシズム に基くもの 」 なら、青年を道連れにしたのはをかしい。


        精神の日本刀、憎惡のインド刀

  シャルマさんは、日印の昔の武器を比較して曰く、

  日本の武器は美しく、優美である。

  それに較べ、インドの武器は殘忍で恐怖を喚起するおどろおどろしい形のものが多い。

  それは、インドが多民族多宗教の國で、戰 ( イクサ ) は民族抹殺を意味したのに對し、

  日本は單一民族・單一宗教的な國で、戰は同胞の間で戰はれたので、

  「 後味の惡くない、残忍性の少い、優美な武器が求められた 」 のだと。


  シャルマさんの父上は、日本滞在中に亡くなります ( 288頁 ) 。

  父上は 「 自分の遺灰のひとつまみを日本に撒くやうに 」 と遺言してゐました。

  父上は大東亞戰爭中、チャンドラ・ボースのインド國民軍に參加し、日本軍と共にインパール作戰を戰つた人です。だから、インド獨立を支援した日本に好意を持ち續けてゐました。

  しかし シャルマさんはびっくり仰天します。

  「 私の世代では、海を渡ることを宗教的タブー と考へる者は居ないが、祖父や曾祖父の時代迄は、海を渡ると身が汚れ、カースト社會から抹殺され、親子の縁を切られ、寺院に詣でることも許されなくなると考へられてゐた 」


  そして歴史的事件を引用します。

  「 海を渡ることは野蠻人に格下げされることであり、實際、1857年のセポイの叛亂は、この宗教的タブー を無視した イギリス側の指令、つまり海外派兵命令が主原因の一つになつてゐる 」


  私が知るセポイの叛亂の主原因は、豚の脂の使用にイスラーム教徒が反撥したことでした。

  「 渡海忌避 」 とは知りませんでした。

  「 實情を知る 」 ことは難しいですねえ。


  大東亞戰爭の評價 ( 291頁以下 )

  多くの日本人が、大東亞戰爭を 「 日本の侵略好意であつた 」 と見做してゐる。

  「 侵略戰爭であつたとすれば、どのやうな内容の侵略戰爭であつたか、

  「 どのやうな歴史的情況と經緯によつて起きたのか。

  「 中國大陸に對するソヴィエト・ロシヤや歐洲の策謀はどう展開されてゐたのか。

  「 中國の政治情況はどうであつたか。

  「 歐洲諸國の植民地であつた東南アジアの政治情況はどうだつたか。

  「 戰勝國は、自らの行爲をも同時に裁判にかけ、法の客觀性・平等性を求めたか 」


  「 自らの手による分析と理解を抜きにして、罪科だけを認めることは信じられない。

  「 それではまるで請求書をチェックしない儘、大金を支拂ふやうなものだ。

  「 殺人罪で我が子を起訴された親が、

  「 自白の信憑性、證據の客觀性、被害者とのそれまでの關係、

  「 事件發生に到る經緯や背景などについて知らうともせず、

  「 判決を受け入れたりはすまいだらうに 」


  「 私はそれまで、日本人と話す度に、ある種の崇高さを感じて來た。

  「 誰もが戰爭の愚かさを述べ、二度と武器を取るべきでないと主張し、

  「 自衛隊は憲法違反、憲法第九條は遵守すべきだと答へた。

  「 世界唯一の被爆國としての平和意識の高さに、私は壓倒され、尊敬の念を抱いた。

  「 ところが PKO問題で世界平和が問題となり、

  「 『 派遣が決まれば貴方は出掛けるか 』 といふマスコミの問ひに對して

  「 『 ( 自衛官を ) 辭めるかどうかは戀人と相談して決める 』 とか、

  「 『 有事の際には自衛官を辭める 』 と答へる若い自衛官が出た。

  「 この輕佻浮薄な發言に、

  「 日本人の平和觀がどんな レベル から發せられてゐるか、疑問を抱くやうになつた 」


  「 二國間の戰爭には異る二つの正義が存在し、三國間の戰爭には三つの正義が存在する。

  「 そして多くの場合、正義とは國民的正義のことであり、民族の利益に關る正當性のことである 」


  そこで 「 正義 」 をどう見てゐるか、どんな努力をしたらよいと考へるかと

  日本人に訊いてみた。

  すると、誰もが 「 判らない 」 「 考へたことがない 」 と言ひ、

  「 とにかく戰爭だけは避けなければならない 」

  「 話合ふ努力をすべきだ 」

  と答えるではないか。

  結論あつて論據なし、なのである。

  ──と、シャルマさんは呆れてゐます。


  日本の平和論は小學生の模範回答に似てゐて、責任ある大人の言辭とは言へません。


  パル判事の日本無罪論の眞意

  シャルマさんは、親印家の日本人グループ に招かれ、代表者の スピーチ を聞きます ( 293頁以下 ) 。

  ラダビノート・パル氏の話でした。

  「 パル判事は、東京裁判で只一人、日本の無罪を主張してくれた 」


  私は落ち着かなかつた、とシャルマさんは書きます。

  「 パル判事が日本と東條英機以下被告全員の無罪の意見書を出したことは事實だが、パル判事が論據としたのは、日本の正當性ではないことを知つてゐたからである 」


  パル判事は、極東國際軍事裁判に於て、一方の當事者である聯合國が敗戰國を裁判形式で裁く違法性を指摘し、司法上の大前提を欠くこの裁判に對して、また、法的安定性を欠く遡及效の問題に鑑みて、無罪の意見を提出した。

  パル判事の論理=違法裁判で被告は裁けぬ故に、全員無罪。

  この種の裁判を行ふには第三者の手に委ねる必要があり、そこでは戰勝國と戰敗國の双方の行為が審理さるべし、といふもの。

  從つて、 「 日本の正義の肩を持つもの 」 ではなかつた、と。


  「 大東亞共榮圈確立の夢 」 を語り、 「 東京裁判の復讐説 」 を語る愛國心を持つ理知的な紳士達 ( 上記、親印會の紳士達 ) も、シャルマさんの目には 「 充分な檢證を行はぬ儘、結論を引出してゐる 」 としか映らないのです。

  そして、注目すべき二つの言及をします ( 296頁 ) 。


  第一、 「 正か邪かを裁定するには、少くとも事實の全てをある深みに於て解釋する態度が要ります。その結果得られた結論が十全でなくても、少くともその深さに於て、神の意に叶つたものとなりませう 」


  第二、日本人が、性急に結論に突つ走り、途中の思考過程を省略するのは、マークシート式テストの弊害ではないかと。

  マークシート式は、出鱈目に印をつけても幾分かは當るのである!


    ( 伊原曰く、テレビの弊害の方が遙かに大きい。

    ( テレビのクイズは即答を求め、思考時間を與へず、思考過程を問はない )


        日本が失つたもの、インドが失ふもの

  ソ聯が解體して對印經濟支援が止まります。

  1991年に成立したナラシマ・ラオ政權が社會主義政策を止めて自由化政策を取ると、日本との關係が深くなりました。

  しかしシャルマさんの日本滞在中に、日印經濟關係は怪しくなります。

  その理由をシャルマさんは、

  「 日本人が持つ抜き難いアジア人蔑視と宗教文化への無理解 」 と指摘します ( 299頁 ) 。


  「 歐米人の論理は認めるが、

  「 インド人の論理は認めないといふ明確な差別を日本人は持つてゐた 」 と。


  歐米人が曾て日本を 「 フジヤマ、ゲイシヤ、サムラヒの國 」 と見たやうに、

  日本人はインドを 「 釋迦と、象と、聖者と、乞食の國 」 と見做してゐた、と。


  日本に於るインド人受入れにも問題があつた。

  渡日した技術者から、憧れの國で蔑視や差別を受けている報告が相次いだ、と。

  むー、確かに日本人はインド人にもインドの 「 今の動き 」 にも冷やかですねえ。


  そしてシャルマさんの結論はかうです ( 306頁以下 ) 。

  1991年の經濟改革以來、私はインドの發展の一翼を擔ふことを望んで來た。

  しかし外資導入による繁榮は、 「 見せ掛けの繁榮 」 に過ぎない。

  近代化とは、歐米合理主義がアジアに押付けたエゴイズムに過ぎない。

  私はそのことを、日本によつて學んだ。


  外資は國内産業を活性化させず、既存企業間の競爭に導かず、止揚せぬ儘國内の弱小企業を潰し、市場を獨占し、國内經濟を席捲して一握りの企業だけに利益の一部を還元し、あとの全てを投資國に持ち去る。

  私は、インドが近代化しても先進國の植民地的奸計に屈せず繁榮すると確信してゐた。

  しかし、新しい利潤追求の原理が、從來の勞働と企業の イメージ を根本から變へ、人心と價値觀をも變へてしまふこと ( 伊原註:これが高度成長下で日本人を變質させたのです ) 迄は思ひ及ばなかつた。日本でそのことを悟つたのだと。

  壓倒的資本力を持つ大企業が地方に進出して市場を攪亂し、零細企業を次々倒産させ、消費の概念・消費の構造式まで變へてゐるのである ( 伊原註:日本では、地方を衰微させ、 「 東京榮えて國亡ぶ 」 均衡を失ふ情況を創り出しました ) 。

  その理由=大企業の論理は、能力以上に消費さすのが目的であつて、人々の生活水準向上など目指してゐないから。

  インドの片田舎では既に異變が起きてゐる。下層民が食ふ物を減らしてまでテレビを手に入れようとし始めたからだ。


  かくてシャルマさんは、西歐流の近代化に汚されてゐないインドの田舎の古い町に住み、土産の手織りの布地を日本に輸出する個人企業を始めたのです。


  シャルマさんが求めたのは、 「 人と人が生き生きと向き合つて生きる生き方 」 です。

( 2010.9.19 )