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伊原注:以下は『改革者』2007年6月号64頁に掲載した書評です。

若干、増補してあります。


高文謙(上村幸治訳)


      『周恩来秘録(上下)』

(文藝春秋、07.3.1)


 周恩来をいびり殺した男の物語


 本書を読むと、死後の批判を恐れて、自分を死後批判しそうに見えた周恩来を、自分より先に死なすためいびり抜いたおぞましい男の姿が浮かび上がる。


 スターリン 没後、国際共産主義運動の主導権を フルシチョフ と 争った毛沢東は、ソ連修正主義批判を続け、ソ連を本気で怒らせてしまう。文革がとめどない混乱を招き、内乱状態になったため、その収束のため中ソ国境の珍宝島で「小競り合い」を演出した (第一次珍宝島事件) つもりが、ソ連の復讐戦 (第二次珍宝島事件) を招き、やがてはソ連に核先制攻撃を考えさせるほどの危機を招く。


革命輸出外交で孤立していた「毛沢東中国」は、窮余の一策「敵の敵と結べ」を実行してニクソンを招請という「ウルトラ C」を演出するが、米中折衝の実務を取り仕切って国際的な脚光を浴びたのは周恩来であった。「上御一人」の影を薄くした周恩来を、「天上天下、唯我独尊」を以て自任する毛沢東は絶対許せず、以後、徹底的に周恩来をいびり抜くのである。男の嫉妬ほど怖いものはない!


 それだけならまだよかった。毛沢東の周恩来いびりが「自分より先に死なせる」よう悽愴さを帯びるようになったについては、毛沢東の執念深さによる両者の関係のなお一段落の展開がある。


 「毛沢東は、自分が発動した文革運動が、中央から地方まで多くの党政高級幹部の大きな恨みを買ったことを知った。毛沢東は、人に恨まれないならともかく、一度恨まれたらいっそのこととことん恨まれよう、という人物だった」 (上巻 191頁)


 文革が進み、文革も自分も人々に嫌われていることを察知した毛沢東は、自分が叩かせた子分どもから慕われる周恩来が、死後、必ずや、自分を批判するに違いないと信じて、断固周恩来を死に追いやるのである。


 それでもなお、毛沢東に逆らわぬ従順な周恩来は、死ぬ直前、毛沢東の詩を読み上げさせ、毛を讃える「東方紅」を口ずさむ。


周恩来が死ぬ旬日前、1976年の元旦前夜、妻のトウ穎超が病院を訪れ、出たばかりの雑誌『詩刊』1月号を持ってきた。それには、毛沢東が10年前に作った二首の詞「再び井岡山に上る」「鳥の問答」が載っていた (原文・邦訳とも『北京周報』日本語版 1976.No1, 5-8頁参照) 。

 著者は、本書の末尾でこう描く (下巻 333頁) 。


年が明けた二日間は、多分「灯りが消える寸前の輝き」であろうか、周恩来は昏迷の中から目を覚まし……介護 スタッフ に この二首の詞を読ませた。彼はじっと聴きつつ時折一言二言口を開いたが、「何を吐かす 見よ 天地を覆らんとす」という部分を聴いて顔をほころばせた。そして独り言のように「中国に毛沢東が現れた……」と、毛沢東を讃える歌「東方紅」の一節を口ずさんだ。


 この、犬以上の「忠実さ」「従順さ」はどこから来ているのか?


 周恩来が毛沢東にイカれたのは、毛沢東に弱点を握られ、常に脅迫されていたからである。だが本書を読むとそれだけではない。周恩来は共産主義と共産党の大義を信じ、毛沢東に従ったのは、毛沢東こそ大義を実現する人物と信じたかららしい。

 中共中央文献研究室に居た著者は、毛周関係が資質の違い(毛沢東=田舎育ちの帝王型無法者。周恩来=都会育ちの宰相型実務家)を超えていかに深刻だったかを如実に活写する。


 周恩来は毛沢東の迫害に耐え抜くが、革命家人生の最期にやっと毛沢東に逆らった。毛沢東から「投降派」として批判された周恩来は、「革命の晩節を全うする」ため、病院で毛に聞かせるべく叫ぶ、「私は党に忠実だ、人民に忠実だ、私は『投降派』じゃない!」(下巻 320頁)


 彼は権力関係では毛沢東に従順に従いつつ、できる範囲で「革命の大義」に沿う手を打ち、打倒された党幹部を文革の災厄から救う努力をした。そこで周恩来歿後、文革にうんざりしていた人々は周恩来を慕ってみせ、毛沢東と四人組に対する拒絶の意思を表明した(1976.4.5 の第一次天安門事件)。


 「死せる周恩来、生ける毛沢東を苛(さいな) む」


 毛沢東の死後、名誉を回復し、復活した党幹部は、文革を否定し、毛沢東の評価も「誤り三分、功績七分」とした。


 だが毛沢東の亡霊は、周恩来の亡霊以上の影響力をあとに残した。


核を機軸にした陸海空天(宇宙)の軍拡

14億の巨大人口と、その全地球への撒布

なりふり構わぬ資源獲得にみられる覇権主義


毛沢東は、中国人民に巨大な災厄を齎したばかりか、地球人類の災厄となり兼ねない時限爆弾を中国に埋設して死んだのである。破壊狂?


 毛沢東を徹底的に批判しない限り、中国人民にとっても地球人類にとっても、安らかな前途はない。


 なお、よく調べた学術書として、以下の書物あり。


トーマス・キャンペン/杉田米行訳

 『毛沢東と周恩来:中国共産党をめぐる権力闘争 1930〜1945』 (三和書房、2004.2.15)

  第一章 中国共産党の指導権と<28人 の ボリシェヴィキ派>の 中国帰還 1930年

  第二章 新しい党指導部の展開 1931年

  第三章 中国共産党指導者の江西への移転と ソヴェト地区における権力闘争 1931〜34年

  第四章 長征時における中国共産党指導部の内部闘争

  第五章 中国共産党とコミンテルンとの関係および第二次国共合作の形成 1935〜38年

  第六章 延安整風運動と新しい中国共産党指導部の抬頭 1940〜45年