帝國陸軍を變質させた二二六事件 ( 續 )

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  紹 介:


帝國陸軍を變質させた二二六事件 ( 續 )



藤井非三四 『 二・二六  帝都兵乱──軍事的視点から全面的に見直す 』

          ( 草思社、2010.2.18 )


  伊原註:標題は原書の儘 ( 略字使用 )

          私の讀書室では最近、 「 戰前の書物が讀めるやうに 」 との願から、

          讀者に讀み慣れて戴かうと、歴史的假名遣・正字を使つてゐます。

          だから以下、可能な限り本字を使ひます。


  さて、前回は途中でしり切れとんぼになりました。今回はその續です。




            第四章  テロの季節


  血盟團事件:昭和7.2.9 井上準之助暗殺 ( 小沼正 ) /3.5 團琢磨暗殺 ( 菱沼五郎 )

    犯人使用の拳銃:昭和7.2.に上海事變で戰死した藤井齊海軍少佐から出たものと判る。

    禍根1 ) 井上日召の一味を、大藏榮一中尉が自宅に匿ひ、安藤輝三中尉は別の一味を麻

            布の歩兵第三聯隊の獨身將校官舎に匿ふ。發覺後 2人ともお咎めなし。

    禍根2 ) 公判廷が、被告14名の演説會と化す。 「 一殺多生 」 「 破壞即建設 」 「 非常時に

            は道徳にかまう必要なし 」 など。擔當檢察官が 「 被告の態度は立派 」 と褒める。

    禍根3 ) 減刑嘆願30萬通に及ぶ。→死刑なし。最高刑=無期 3人

    禍根4 ) 昭和13.2. 憲法發布50周年記念で減刑・復權。血盟團の受刑者は

            「 殺人 」 「 殺人未遂 」 なので、恩赦は違法。

            昭和15.2. 皇紀2600年記念の恩赦。→全員釋放


  五一五事件:昭和7.5.15  海軍中尉 4人が犬養首相暗殺、其他

    陸軍、時期尚早として不參加 ( 犬養内閣・荒木陸相の登場で合法路線に期待した )

          但し陸士生徒 11人が、意思疏通の不手際により、參加

    愛郷塾の橘孝三郎が農民を連れて參加。變電所を襲つたが、東京大停電に到らず。

    十月事件の縮小版。

    犬養首相が殺された理由 ( 事件背後の 「 深い闇 」 ) :

      滿洲事變は陸軍青年將校が 「 處士横議 」 をして統制を亂したためと認識。

      30人ほどの少壯將校の免官を予定。閑院宮載仁參謀總長の承認を得て天皇に上奏して決定

      荒木陸相頭越しの肅清人事 ( 女婿芳澤謙吉が 『 外交六十年 』 に記載 )

      犬養首相は、女婿芳澤謙吉のほかに、内閣書記官長森恪にも話してゐた。→漏れた?


    禍根1 ) 法廷が被告による演説會と化す。メディアも喝采を送る

    禍根2 ) 減刑嘆願:海軍側= 100萬通、陸軍側=35萬通

    禍根3 ) 軽い判決:士官候補生11名は全員禁錮 4年。海軍側實行犯は禁錮15年〜10年

            民間側は、主犯格の橘孝三郎が無期懲役、ほか19名は15年〜 7年の懲役


  注目點:主役交代。ここで海軍は身を引き、以後陸軍が主役となる。

          陸軍に汚れ役をやらせて、恩惠だけはちゃっかり受けた狡い海軍?


  さて、限りがないので、あとは項目だけ。


  神兵隊事件:昭和8.7.

  救國埼玉青年挺身隊事件:昭和8.11.

  士官學校事件:昭和9.11.20

  軍務局長斬殺事件:昭和10.8.12


  人名の讀み方:

  血盟團事件の最初の一殺、井上準之助を殺した犯人小沼正は、本書で 「 おぬまただし 」 とルビが振つてあります。

  私は 「 おぬましょう 」 と記憶してゐます。本人がさう自稱してゐました。

  「 正月 」 「 正札 」 「 正體 」 と同じ讀み方ですね。

  念のため、我が家にあつた當時の本、關東朝日新聞社編 『 血で描いた五・一五事件の眞相 』 ( 共同館、昭和8.9.25/10.5十刷 ) を見ると、何と 「 こぬませい 」 !   新聞社もいい加減です。


  朝日本も藤井本も、西田税に 「 にしだみつぐ 」 と振つてある。

  「 みつぎ 」 です。父が自分の子を貢ぎ物として國家に捧げたのです。


  序に、藤井本では小幡敏四郎に 「 おばたとししろう 」 と振つてある。

  これは確か、扶桑社の傳記に 「 としろう 」 とあつたと記憶してゐます。

  小幡敏四郎の知人が書いた傳記だから、確かです。

  「 し 」 の重複を避けて、發音し易くしたのです。

  ああ、人名はややこしい!



            第五章  蹶起への道程


  前章最後の項目、皇道派の相澤三郎中佐が、統制派の中心人物、永田鐵山軍務局長を白晝、陸軍省軍務局長室で斬り殺した事件が重要です。

  このあとの相澤公判を、皇道派の青年將校が法廷鬪爭に利用して自分らの立場を宣傳する 「 演説の場 」 にするつもりが、そうはなりませんでした。


  表面的理由:

  辯護を引受けた滿井佐吉中佐の初めの辯護方針= 「 心神耗弱論 」

  相澤中佐が、上官を殺したあと 「 これから台灣に赴任する 」 と語つたことから、

  「 正常な精神ではない 」 と強調して極刑 ( 銃殺 ) を免れる作戰です。


  これに同志から強い反對が出ます。


  相澤中佐の精神を説き明かし、その行爲の崇高さを廣く社會に訴へるべきである。

  その結果、銃殺にならうと本望だらうと。

  そこで 「 高潔な軍人精神の發露 」 「 やむにやまれぬ義擧 」 と主張することになつた。


  すると當然、法廷戰術上、殺された永田鐵山軍務局長の邪惡さを強調する羽目になる。

  これが 「 個人攻撃 」 「 死者を冒瀆するもの 」 として顰蹙を買ひ、逆効果を生んだ。

  日本人は死者を辱めないのです。


  著者曰く、

  「 血盟團事件以來の被告は、相手がその地位にあつたから殺したまでで

  「 故人に遺恨なしとして法廷に臨んだから、犯人に世間の同情が集つた。

  「 相澤公判では、その逆をやつたから、結果が望ましいものになる筈がなかつた 」


  著者、更に曰く、

  「 法廷戰術の拙劣さも加はり、神兵隊事件の頃とは潮目が違つて來た 」


  一應の理由: 「 潮目が違つて來た 」 理由を、著者は二つ並べます。

  ( 1 ) 縱組織の軍隊に横斷的結合はそぐはぬこと

        ( 頻繁な人事異動も、横集團をジリ貧化する )

  ( 2 ) 軍籍のなくなつた村中孝次・磯部淺一が法廷鬪爭で活躍したこと

        ( 軍人が民間人と組むとは何事か! )

        ( これは、二二六事件が破綻する重要な一因にもなります )

        ( 村中・磯部參加のほか、北一輝・西田税の電話による指示もあつたから )


  本質的理由:だが、もつと重大な、本質的な轉換が青年將校運動に生じてゐたのです。

    それを的確に指摘するのが、竹山護夫 ( 「 ビルマの竪琴 」 を書いた竹山道雄の子息 ) です。

    竹山護夫著作集第四巻 『 昭和陸軍の將校運動と政治抗爭 』 ( 名著刊行會、2008.5.12 )

        によれば、以下の通り。


  その前に、事實關係を頭に入れておく必要があります。


  荒木貞夫大將が犬養内閣で陸相になるのが昭和6.12.13。

  辭めるのが齋藤内閣時代の昭和9.1.23。

  眞崎甚三郎が閑院宮總長の下で參謀次長になるのが昭和7.1.9。

  この荒木陸相・眞崎參謀次長時代が、青年將校運動の盛りの時代です。

  陸軍省軍務局長=皇道派の山岡重厚 ( 昭和7.2.29就任 ) 。

  それが統制派の永田鐵山になるのが昭和9.3.5。


  さて、竹山説です。


  荒木陸相時代に、青年將校運動は順調に展開しました。

  省部 ( 陸軍省・參謀本部 ) の幕僚と隊付青年將校は 「 同志 」 でした。

  それがやがて、組織を掌握した幕僚は、軍全體を動かせるので、

  軍の公式組織を外れた青年將校の盲動を嫌い、抑へにかかります。


  その轉換期が、前回、大阪のゴー・ストップ事件で朝野さんが言つた昭和 8年です。

  陸軍が陸パン ( 『 國防の本義とその強化の提唱 』 ) を出すのは昭和9.10.1

  その前から省部の幕僚は、 「 高度國防國家建設 」 構想を進めてゐました。

      第一次大戰の總力戰化:武器の進歩・新兵器の登場

      世界大不況と貿易戰爭:ブロック經濟化・ 「 持てる國 」 と 「 持たざる國 」 の對立抗爭

        cf. 池田美智子 『 對日經濟封鎖:日本を追詰めた12年 』 ( 日經新聞社、1992.3.25 )

      滿洲事變:日中抗爭の激化

      日本の國際聯盟脱退

      海軍軍縮條約脱退  →再び建艦競争へ

と並べただけで、先人の惡戰苦鬪と日本の總力戰態勢構築の急務がお判りでせう。


  高度國防國家構想の下では、青年將校運動は組織の攪亂要因です。

  だから幕僚は、青年將校運動阻止に動きます。

  この抑壓方針が青年將校側に明示されたのが、昭和8.11.16です。

  ( 幕僚と青年將校運動の指導者が一堂に會した九段の偕行社での會合 )


  幕僚側が示した六項目要求に曰く、

  「 軍政掌理者以外は斷じて政治工作に干與すべきものに非ず 」

  「 皇軍組織體としての活動並其の國策遂行に慊らぬ者は宜しく軍服を脱して埒外に出づべし。

  「 軍の一員たる以上は斷じて其の統制に服せざるべからず 」


  青年將校側の村中孝次の質問:

  「 軍中央部は、我々の運動を彈壓するつもりか 」

  幕僚側の影佐禎昭中佐答へて曰く、

  ( 儼然として ) 「 さうだ 」


  ( 以上、竹山護夫 『 昭和陸軍の將校運動と政治抗爭 』 145-151頁 )


  堀眞清 『 西田税と日本ファシズム運動 』 ( 岩波書店、2007.8.29 ) 681頁は、幕僚と青年將校の

この會合を單なる派閥爭ひの次元でしか捉へてゐませんが、甘い!

  この會合こそ、組織を握つて軍を掌握した幕僚グループの、邪魔者と化した青年將校グループに對する勝利宣言だつたのです。

  「 俺達について來るか、それとも叩き潰されたいか? 」


  これだけはつきり言はれたのに、青年將校側がこれを骨身に徹して悟るのは、蹶起の夢破れて獄窓に呻吟するやうになつてからです。


  ですが、青年將校運動がまだ希望を繋ぐ事態が重りました。

( 1 ) 永田斬殺事件で交代した新陸相 ( 林銑十郎→川島義之 ) が青年將校に 「 脈あり 」 と

      思はす言動をした ( 139頁 ) 。

( 2 ) 陸軍次官古莊幹郎も、磯部淺一に 「 理解あり 」 と思はす應答をした。

( 3 ) 陸軍省を支へる村上啓作軍事課長も磯部を勵ます言辭を弄した。等々


  だから青年將校達は、自分らが蹶起すれば、軍内部に呼應してくれる人達が一杯ゐると、

自信を持續けたのです。


  そして、第一師團の滿洲移駐計劃が蹶起の引金になります。



            第六章  昭和十一年二月二十六日


        「 蹶起趣意書 」

  動機= 「 蔓延る君側の奸 」 といふ目前の事態

        我國は素晴しい國體を持つ國なのに、

        元老・重臣・軍閥・官僚・政黨がこの立派な國體を破壞してゐる。

        中岡艮一 ( 原敬暗殺 ) から相澤中佐まで、何人もの先輩が 「 先驅捨身 」 したが、

        奸臣は 「 今尚些カモ懺悔反省ナク 」 、我國は危機に瀕してゐる。


  目的=そこで我々は 「 君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ中樞ヲ粉砕スル 」 ため蹶起する。

        陣前の障害物處理  →川島義之陸相の上奏を經て 「 大御心 」 に俟つ

        首相官邸・陸相官邸・警視廳を占據するには、部隊を動かすことが必須

        奸臣襲撃部隊が襲撃後、半蔵門附近を抑へる


  クーデターとしては缺陥だらけ。

        警視廳の通信網/愛宕山のJOAK/朝日新聞/田畑の操車場の鐵道輸送妨害etc.

        これらを 「 全然利用せぬ儘 」 時間を空費した/利用してゐれば、主導權を握れた!


  問  題:2月26日 ( 水 ) :月末に金融が逼迫すれば、東京市は麻痺する


  決め手:2月10日 ( 月 ) :出撃聯隊の週番司令決定。22日 ( 土 ) 〜29日 ( 土 ) 勤務者

    歩三=第六中隊長安藤輝三/歩一=第五中隊長日高友一 ( 第七中隊長山口一太郎が代る )

    近衞師團の禁闕守衛  25日10:00〜26日10:00 の上番部隊決定:控兵=中橋基明中隊


  25日 ( 火 ) 晩に行動開始:彈藥搬出  →point of no return!

    携行食糧=乾パン 1食分 ( 26日朝食 )   →長引くと負ける! 「 腹が減つては軍が出來ぬ 」

    敗  因=食  糧。28日17:30 外部との聯絡遮斷・食糧途絶え、投降のほかなくなつた


  栗原安秀中隊=岡田啓介首相襲撃 ( 松尾傳藏退役陸軍大佐射殺/首相は27日晝まで女中部屋に )

  坂井 直中隊=齋藤 實内大臣襲撃 ( 拳銃+輕機關銃亂射 )

  中橋基明中隊=高橋是清藏相襲撃 ( 拳銃+軍刀で斬撃 )

  安藤輝三中隊=鈴木貫太郎侍從長襲撃 ( 拳銃 3發/止めを刺さず )   →命拾ひ

  河野  壽隊=牧野伸顯前内大臣襲撃 ( 警官の反撃で河野大尉負傷/旅館に放火/逃亡さる )

  高橋太郎・安田 優隊=渡邊錠太郎教育總監襲撃 ( 輕機關銃で掃射+斬撃 )

  野中四郎中隊=警視廳占據 ( 特別機動隊の出動阻止 )

  丹生誠忠中隊=陸相官邸 ( 蹶起趣意書・要望事項傳達・奏上要請 ) →09:30 陸相參内・上奏



            第七章  蹶起成功に傾いた情勢


  天皇=早期鎮定を指示  →原隊復帰が必要

  「 陸軍大臣告示 」 26日15:20 發表/蹶起部隊を警備部隊に取込む/軍隊相撃排除を命令


  26日16:00〜  宮中で斷續的に閣議:戒嚴令の可否を審議 ( 蹶起側の要望に沿つたもの )


  27日03:00 戒嚴令公布/04:40 戒作命第一號 ( 蹶起部隊を警備部隊に編入 ) →義擧承認?

    →蹶起部隊は、あつさり原隊復歸するか/テロを續けるか? 何もせず居坐る!

      27日まで、事態は流動的であつたが、誰も決定的な動きをせず


  軍事參議官と蹶起將校との協議:

    26日21:00〜  陸相官邸で軍事參議官 7人と蹶起側 5人 ( 村中・磯部も ) と協議

    蹶起側は阿部信行・西義一兩大將を取込むべきだつたのに、さうせず ( 208頁 )


  27日朝、北一輝に靈告: 「 勇將眞崎あり。正義軍速かに一任せよ 」

    15:00 眞崎大將 1人で陸相官邸へ。蹶起將校揃はず、眞崎、待たされ、阿部・西を呼出す

    蹶起將校、眞崎大將に事態収拾を 「 一任 」 →香椎浩平戒嚴司令官、宿營・休息さす

    17:00 村中・磯部が北・西田と電話聯絡。

    北ら 「 民間人 」 の遠隔操縦? と軍人 ( 鎭壓側も蹶起側も ) 怒る



            第八章  状況一轉、武力鎭壓へ


  26日〜27日は、事態はまだ流動的だつた/時間を空費するうちに流れが變る。

  大部隊を東京に集中した鎭壓側は、28日、鎭壓に動きます。

  蹶起將校の原隊復歸を命ずる奉勅命令が、05:08下達されます。

  蹶起將校は、自決と斷固應戰との間を搖れ動きますが、説得工作が續きます。


  そして29日09:00 攻撃前進。その直前に 「 兵に告ぐ 」 が放送されました。

  飛行機からもビラが撒かれました。

    「 今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ 」

    「 抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル 」

    「 お前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ 」


  著者は 「 四日間に亙る疲勞の蓄積が決め手になつたのだらう 」 と書くが、

  「 流れ解散のやうな形 」 で蹶起部隊は引揚げました。


  鎮定後の事件評價について、著者は 「 血盟團事件や五一五事件から數年で、

  その見方がすつかり樣變りしてゐることには一驚させられる 」 と書きます。


  軍當局の受止め方:

  二二六事件は皇軍を盗用して大命に抗したもの

  叛軍將校の態度は武士道に反する

    大官を暗殺するに機關銃數十發を射撃して之を斃し、

    血の氣なくなりたる後、之に斬撃を加へたるものの如き

    死すべき時來れるに一人の外悉く自決するに至らざりき


  一般社會の受止め方:軍部そのものに嚴しかつた

  兵卒の父兄の聲:

  「 將校達ハ將校ノミテヤツタラ良イ。無垢ノ兵ヲ騙シテ連レテ行クカ如キハ不都合ノ極ミ 」

  「 職業軍人タル將校ト必任義務兵タル我々ノ子弟ヲ同一視サレテハ困ル

  「 仄聞スルニ事件關係將校ノ多クハ其成績不良ニシテ國士的氣取ノ賣名行爲者ナル趣ナリ

  「 之ニ引摺ラレタ兵コソ大災難タ 」


  著者は 「 事件の一面をよく捉へてゐる 」 と言ひ、これが徴兵制への疑念となり、當局を憂慮させた、と書く。

  そして曰く、この市井の聲で不可解なのは、 「 農村の疲弊・富の格差擴大に義憤を感じて立ち上がつたと理解する聲が一つもないこと 」 だと言ひます。

  軍の 「 勝手な振舞 」 「 横暴 」 に強い反撥が起きるのです。


  皮肉なことにこれ以降、軍の 「 勝手な振舞 」 「 横暴 」 が増長するのですが。



            第九章  なぜ蹶起は敗退したのか


  この章は、著者の ユニークな見解が目立ちます。

  私が本書を最も評價する部分です。


  まず、蹶起趣意書に示した目的は 「 達成した 」

  26日15:00 「 東警作命第三號 」 /26日15:30 「 陸軍大臣告示 」 を見よ。

  前者に於て蹶起部隊は正規に警備部隊に編入された。後者で蹶起の概要が天聽に達し、その眞意もしくは行動が國體顯現に基くものと陸相に言明させた。

  しかも、重臣や現役大將渡邊錠太郎教育總監殺害の話を、軍事參議官 7名が叱責もせず黙つて聽いてゐる。

  「 これほどの成功は、蹶起した將校ですら予想してゐなかつた筈だ 」 と。


  次に爲すべきことは二つ、と著者は言ひます。

    道具として使つた下士官兵を歸營させる。

    自分らは逮捕を待つか、東京憲兵隊に自首する。


  ところがさうせず。

  反應が鈍いので、更に第二、第三の襲撃を行ふこともせず。

  永田町の台上で、聯隊から届いた食事を攝りながら、昭和維新の曙光が大内山から昇るのを待つてゐた。


  抵抗でもない、歸順でもない形で時間を空費したのです。


  著者曰く、これで蹶起將校の敗北が決り、將來ある少尉まで銃殺される慘敗になつたと。

  蹶起將校が朝日新聞を利用して自分らの主張を印刷配布させ、

  放送局を利用して全國にPRし、

  通信設備の整つた警視廳の電話を利用して全國の同志に呼應を呼掛けてゐたら、

  大勢は蹶起側に傾いてゐたのに、と。


  テロは敗因ではない:

  第一、 「 君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中樞ヲ粉碎スル 」 のが目的だから、

        テロ を 敗因と指摘しても意味なし。

  第二、それまで テロ が續發してゐたため、より大きな テロ でインパクトを與えぬ限り、

        主張を聽いて貰へぬ状態であつた。


  敗因1 ) 「 押の一手を弛めしこと 」 ( 林八郎少尉の獄中遺書 )

  敗因2 ) 統一指揮官なき部隊だつた

  敗因3 ) スタッフ ( 參謀 ) として沈黙を守るべき村中孝次・磯部淺一がやたら口を出した

  敗因4 ) 獨自の作戰計劃なし。だから部隊が右往左往して體力を消耗した

  敗因5 ) 中隊長レベルの發想でしか動けなかつた


  勝つ法1 ) 武力を背景に、指揮命令する上下關係を確立する

    全軍の指揮中樞 「 陸軍省 」 「 參謀本部 」 の機能を使はぬ手はない。

    省部を収容所として全軍を動かすのである

    「 相手の力を利用して倒す 」 。これぞ兵法の極意!

    これをして初めて朝日新聞・放送局・警視廳の通信設備の利用が生きる


  勝つ法2 ) 戒嚴司令官 ( 香椎浩平 ) か第一師團長 ( 堀丈夫 ) を祭り上げる

    第一師團の在京中隊16箇中 8箇中隊が蹶起部隊に參加している状況からして、

    その背後に師團長がゐると言はれれば、信憑性が増す。

    「 維新義軍司令官ハ第一師團長、堀丈夫中將ナリ 」 と宣言し、

    「 堀司令官ハ近衞師團長橋本虎之助中將ト皇軍相撃絶對回避ニツキ盟約セリ 」 とやる。

    これで多くは 「 まさか…… 」 と思ひつつ、 「 ひょっとすると 」 と信じ始める。

  ここで廣報が決定的に重要となるのである。



            終  章  昭和維新の結末


  父母の抗議、搖らぐ徴兵制

  軍人勅諭に曰く、 「 上官ノ命ヲ承ルコト實ハ直ニ朕カ命ヲ承ル義ナリト心得ヨ 」

  父兄 「 税金ヲ納メテ子弟ヲ兵隊ニ出シ其ノ金ト其子弟テ人殺シヲヤツテ貰ツテ居レハ

      世話ハナイ 」 ( 東京憲兵隊の記録 )


  著者曰く、蹶起部隊と鎭壓部隊が銃火を交へて、中隊長の命令に從つた兵卒が逆賊の汚名をきたまま死亡したらどうするのか。

  鎭壓側にゐて死亡しても、遺族は黙つてゐないだらう。


  これが、先に述べた 「 徴兵制への疑問 」 です。

  だから當時、鎭壓側も蹶起側も、最後の最後まで 「 皇軍相撃 」 を避けたのです。


  憲兵司令部の記録から──


  東北地方の警察署長

    「 一家ヨリ三名以上ノ兵役義務者ヲ出シタ者ハ表彰セラレ無上ノ光榮ト心得居タルニ

    今後ハ安心シテ子弟ヲ兵役ニ送ル能ハス 」


  參加兵の父兄

    「 上官ノ命ニ服從セシ行為カ犯罪行為ナリトセハ上官ノ命令ニ服從スルコトハ

    不忠ノ臣トナリ全ク軍紀ノ根本精神ヲ覆スモノナリ 」


  山陰地方の在郷軍人

    「 上官ノ命令ハ絶對服從ナリト信奉シ何モ知ラス幾百ノ兵ハ不逞ノ青年將校ニ依リ

    遂ニ叛亂軍ニ誘導セラレタリト思ハル。今回ノ事變ニ鑑ミ命令ト雖モ絶對服從ハ

    考ヘ物ナリ 」


  北海道の一般官民

    「 上官ノ命トシテ之ニ絶對服從セル兵ハ實ニ可哀想ナモノテアル。

    今後家族ニ入營者アルトキハ中隊長ノ思想ヲ調ヘテカラ入營セシメネハ

    一生ヲ棒ニ振ツテ終ハラナケレハナラヌ 」


  徴兵制が揺らいだことに危機感を持つた陸軍當局は、論議を重ねて對策を打出した。

    「 上官も人間、間違ふこともある。

    だから、命令に疑問を持つ部下は意見具申して宜しい 」


  命令系統に疑問が生じた!

  軍隊の命脈が揺らぎ出した 「 陸軍の危機 」 を救つたのが支那事變の勃發だつた。


  だから陸軍は、 「 一撃だけ 」 だつた筈の支那事變を、長期戰にしたのだらうか?


  このあと著者は、皇道派一掃の 「 肅軍人事 」 が陸軍を歪め、支那事變を泥沼化する、

と書いてゐるのだが。

( 平成22.3.18 )