大東亞戰爭の複雜さ

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伊原註:下記は『關西師友』平成21年10月號に載せた「世界の話題」(238)です。

     少し増補してあります。




    大東亞戰爭の複雜さ





         戰爭目的は何だつたか?


  昭和16年12月8日に始つた大東亞戰爭は、意外に複雑な戰爭です。

  何よりも、戰爭目的がはつきりしません。


  開戰の詔勅では、日米交渉の續で、米英に追詰められて已むなく起つた「自存自衛の戰」です。

  それなら米英蘭に「勝つ」ことが戰爭目的の筈ですが、帝國陸海軍首腦は果して米英に「勝つ」ため戰つてゐたか?

  「帝國海軍は全力を擧げて帝國陸軍と戰ひ、餘力を以て敵米英に當る」と揶揄されたやうに、海軍は對米戰爭に全力を擧げてゐません。


  海軍の戰爭目的は「敵艦隊の撃滅」だけで、「米國に勝つこと」ではない──やうに見えます。

  だから油が足りないから南方の油を取りに行つたのに、南方の資源の日本への輸送を海軍は護衛してゐません(だから戰後、日本の船舶協會は海上自衛隊と不仲が續いてゐた。最近、海賊警戒をして日本船をソマリア沖の海賊から守つてくれたので、やつと和解したといふ)。

  南洋群島の武裝もしてゐません。攻勢終末點も考へてゐません。

  海軍の頭には、敵艦隊、特に敵空母の撃滅しかなかつた、と考へないと、辻褄が合はない。


  しかも、敵艦隊の撃滅にさへ、全力を擧げてゐません。

  だからハワイイ攻撃では第二撃も敵空母の索敵もやりませんでしたし、ミッドウェー攻撃と同時にアリューシャン攻撃を實施して、艦隊 (空母) を二分した上、ミッドウェー攻撃軍に島の占領と敵空母撃滅といふ二重目的を與へてゐます。

  どう見ても海軍は、「勝つ」ために全力投球してゐないのです。


  陸軍は、對米戰爭は海軍の役割と決めて、その手傳ひをしただけです。だから陸軍の主力は支那大陸に置いた儘でした。

  南方攻略の「手傳ひ」をした陸軍は、勝つたあと、早々に陸軍を南方から引揚げました。


  兩者共、それぞれの「省益」を最優先してゐたのであつて、「大日本帝國」の勝利は、考へてゐなかつた譯ではないでせうが、二の次、三の次に過ぎませんでした。


  或ひは、かうも言へます。

  海軍も陸軍も「戰鬪」を考へてゐただけで、「戰爭」は頭の中になかつた──と。


         中川八洋の大東亞戰爭論


  さて、前號に續く中川八洋の大東亞戰爭論です。

  (cf. 中川八洋『地政學の論理』徳間書店、2009.5.31)


  中川八洋の大前提──

  ユーラシヤ大陸のハートランドに蟠踞するロシヤがプーチンの下で帝國として復活中である。

  同じく大陸勢力である赤いシナが軍事超大國化してゐる。


  中川八洋の結論 (1)──

  日本が 亡國を免れるには、同じ海洋勢力である米英と結んで反撃力を持つこと。

  日本亡國の第一歩は、中共による台灣併呑です。

  これで、「第一列島線」(千島列島・本州四國九州沖縄・台灣・フィリピン)が崩れます。

  これを崩させないためには、日本が沖縄防衛を固めて台灣の現状を維持せねばなりません。


  そのための不可避の方策として、中川八洋は、こんな提案をします。


  中川八洋の結論 (2)──

  年三百萬人の出生を確保し、社會保障費を全面縮減して軍備(増員・ミサイル・戰車・空母・原潛)に回し、男兒全員が兵役に服する要塞國家を作る。


  ロシヤとシナの野蠻な征服力の恐ろしさを認識する人にはこの結論は妥當ですが、危機を認識しない人には、とんでもない結論に見えませう。


  この「地政學」の認識で大東亞戰爭を振返るとどう見えるか。


         地政學と北進論・南進論


  ハートランドに蟠踞する大陸勢力に備へ、海洋勢力英米と結ぶのが正しい路線、これに反するのが誤つた路線だと中川八洋は言ひます。

  それによると、北進論が正しく、南進論は誤りです。

  アジア主義・海洋主義は、日本を南進させ、英米と衝突させるから間違ひだと。

(伊原註:南進論に、平和的商業的南進論と、武力行使を辭さぬ南進論の別があることは、今は措きます)


  中川八洋によると、正しい系譜は以下の人々です。

  林子平・工藤兵助・間宮林藏・最上徳内・會津藩・陸奥宗光・桂太郎・加藤高明・小村壽太郎・幣原喜重郎・昭和天皇・吉田茂ら。


  間違ひの系譜に連なるのは以下の人々です。

  川路聖謨・西郷隆盛・榎本武揚・伊藤博文・山縣有朋・井上馨・後藤新平・近衞文麿・帝國海軍・松岡洋右・阿南惟幾・徳富蘇峰ら。


  この短文では、中川八洋の論理の骨組しか紹介できませんが、『地政學の論理』を讀めば、中川八洋はよく諸資料を讀込み、史實も踏まへた上で、それなりに周到な論を展開してゐます。

(伊原註:ここに紹介した中川八洋の論理に疑問を感ずる方は、ぜひ直接お讀み下さい。必ずや、裨益する所がある筈です)


         幣原外相はシナ人を知らず


  でも、日本近現代史を日シ關係史として學んで來た私には、中川説は割切り過ぎてゐて、些か修正が必要な部分があります。


  その一つが、幣原外交の評價です。

  中川八洋は、幣原外交の對シ不干渉主義が正しかつたと評價しますが、それは、相手を無視した秀才の机上の空論です。

  幣原さんは、シナ人の獨善を勘定に入れてゐません。


  例へば──

  シナが1930年前後に展開する「革命外交」は、治安確保といふ統治者たる者の基本的任務を放置し、外國に對して一方的に平等化を迫る獨善政策です。


  治安が確保できぬ政府に對して不干渉主義で臨んで、在留邦人の安全が守れませうか?

  守れぬから幣原外交が見捨てられ、陸軍の實力行使(滿洲事變)を引出したのではありませんか。


  昭和 2年 (1927年) 3月24日に起きた北伐軍による南京事件の暴行後、共同實力行使を申入れた英米に對し、「不干渉主義」を盾に共同行動を斷つてゐますが、あの時、英米と共に實力行使して置けば、英米と協調して在シ權益が守れたし、日本が單獨で「侮日」「抗日」に遭ふ事態も、もつと先送りできたのではないでせうか。


  こちらが寛大に扱へば感謝して貰へ、日シ友好に繋ると期待しても、讓ればつけあがるシナ人の民族的習性が相手では、期待したやうな效果を生まなかつたのも當然です。


  明治の教育は秀才教育に傾き、大局觀・洞察力を育てる指導者教育がお留守になりました。

  だから、小賢しい官僚型人材ばかり育つて、じつくりものを考へ、現象でなく人を見る、見抜く人材が不足したのです。

  幣原外交は、「彼ヲ知ラス」の觀念的秀才外交だつた點で、その對シ外交は初めから、成果があまり期待できぬものでした。

(09.7.5/10.17補足)