いかがわしい本を見抜く見識

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   いかがわしい本を見抜く見識

              ──一つのケーススタディ──


  伊原註:

  暫く前、阿尾博政の 『 自衛隊秘密諜報機関 』 ( 講談社 ) を紹介しました。

  そしたら最近、自衛隊の元東部方面調査隊・相馬原派遣隊長の高井三郎さんから、あれはとんでもない出鱈目本ですよ、との指摘を受けました。

  いい加減な本を、留保なしに紹介したのは、私の 「 見識の無さ 」 を暴露したもので、讀者に愼んでお詫びします。


  ご教示を得た高井さんに、 「 問題點を見抜く見識を鍛へるためのケーススタディになるので 」 と、高井さんの問題指摘の一文の本欄への掲載をお願いし、快諾を得ましたので、以下に載せます。


  高井さんは阿尾さんの4期下ださうですが、阿尾さんの本は、言葉の使ひ方からして素人つぽく、とても專門家とは言へない由です。


  讀者は、以下の高井さんの指摘をお讀みの上、情報問題に對するご自分の見識を磨かれんことを。


  ご注意頂いた高井さんに、衷心から感謝致します。




            情報調査用記事 ( 09.9.1 )

          マスコミと情報関係者のための情報分析実習資料


「 自衛隊秘密諜報機関:青桐の戦士と呼ばれて 」 :阿尾博政 ( 講談社:09.6.5 ) の記述内容の壮大な虚構を暴く

元東部方面調査隊・相馬原派遣隊長 高井三郎


  戦後64年間、軍事教育不在の時代が続き、一般国民の情報分野を含む軍事知識のレベルが落ちているので、いかさま図書に騙され易い向きが多い。本拙文は、最近、話題の情報関係図書の中身を実験台にして、情報資料 ( インフオメ−ション ) を分析評価し、情報 ( インテリジェンス ) を作成する要領、すなわち、情報分析作業の一例をマスコミ及び情報関係者に提供する。それと同時に、情報と軍事の本質に関する一般国民の啓発を図る狙いもある。

  本書は、阿尾博政氏 ( 以下著者 ) の陸上自衛隊幹部自衛官としての8年間の経歴及び自衛隊を依願退職後の活動の回想からなる。なお、小生は、著者と同じ陸上自衛隊幹部候補生学校U課程の卒業生であり、御本人の4期後輩に当る。

  そこで、著者と同様に幹部自衛官の経歴及び情報専門部隊勤務の経験のある小生は、本書の記述内容の分析結果、御本人の一般部隊勤務の記述は殆ど正確な反面、現役末期と退職後の情報活動の説明は虚構に過ぎないと判断する。


               情報の原則と用語に疎い著者


  先ず、著者は、情報活動の大家と自称するが、基本的な情報用語の使い方が不正確あるいは自己流であり、したがって情報の素養を培っていないと判断される。察するに、著者の情報勤務は、ごく短期間にとどまっている。

  本書に出て来るムサシ機関、秘密諜報機関及び秘密諜報員は、陸上自衛隊の組織及び職務の公称でも通称でもなく、まさに著者の創作に過ぎない。然るに、小生の現役時代の陸上自衛隊には、ムサシ別班、陸幕第2部別班又は特勤班及び調査隊と言う情報組織は実在した。陸上自衛隊は、情報員を情報幹部、情報陸曹、調査幹部、調査陸曹などと正式に呼んでおり、工作員、諜報員という呼称の職務はない。


     ちなみに、現代の各国軍では、非公然活動 ( 非合法又は非道徳な手段による情報活動 ) を指す諜報及び謀略を、組織や職務の公称に使わない。更に、どこの国の軍隊でも、情報組織が諜報活動を行っているという公言をしないのが原則である。


  著者が盛んに用いる工作という用語は、本来、情報活動を指す中国語であり、陸上自衛隊では全く使われていない。小生の現役時代には諜報活動を特別活動 ( 略称、特活 ) 及び作業、その担当組織を業務班と呼んでいた。陸上自衛隊には、旧陸軍の組織名であった機関という正式呼称はないが、情報機関、指揮機関という軍事一般用語は存在する。


               奇々怪々な退職理由と偽りの経歴


  著者の言によれば、1965年7月31日に、1等陸尉で形式的に退職後、実際には自衛官の身分のまま給与を受けて諜報活動に従事し、1991年に61歳の定年を迎えた2等陸佐として実質的に退職した。要するに、1965年から26年間、給与の基準を決める都合上、自衛官の身分を保有していたが、ムサシ機関 ( 著者の自称 ) を離れ、秘匿して諜報活動に従事するため、表面上は退職扱いであったという趣旨である。

  防衛庁以来、現在までの規定上、60歳を超える定年は、事務官、技官等のシビルに限られており、2等陸佐であれば例外なく、50代前半で定年を迎える。なお、防衛省・自衛隊からの受託により、情報、研究、技術等に従事する退職自衛官は、嘱託、役務又は労務として働き、相応の報酬を受けるのが人事行政の原則である。要するに、報酬の基準を定めるため、自衛官の階級に応ずる給与体系を利用する必要性は全くない。更に、受託業務は、諜報に限らず、すべての内容を第3者に知らせない契約に基いている。


        素行上の問題から依願退職:幹部の思想動向調査も虚構


  著者は、 「 陸上幕僚監部第2部 ( 情報担当 ) の指令を受けて、ムサシ機関を離れ、諜報活動を行うため、民家に阿尾機関を開設した。その諜報活動の手始めに、八百屋に変装して杉並、中野、新宿界隈の官舎を頻繁に訪問し、住人である自衛隊幹部の思想動向を調査した。 」 と臆面なく主張する。


     しかしながら、自衛隊では、中央からの緊急の要求等、正当な理由のない個人対象の調査業務は禁止している。しかも、小人数で短期間に多数の住人と面談し、彼らの真意を探る事は不可能であり、誰でも見ず知らずの来訪者に対し、妄りに微妙な個人情報を打ち明けないのが通常の状態である。仮に、住民の思想動向を十分に調査するためには、信長・秀吉時代の5人組のような、相互監視・通報組織を町内にめぐらすべきであるが、このような地域情報網の構成は、現代の国家社会では到底認められない。


  本来、自衛官個人の考え方、希望や悩みなどの身上把握及び個性指導は、本人の指揮官、管理者など直属上司の指導監督上の責務の一環である。これに対し、情報保全隊 ( 旧調査隊 ) は、当該上司が欲する参考情報 ( 例えば自衛官の考え方に影響を及ぼした出身学校の空気 ) を提供して支援するにとどまる。いずれにせよ、直属上司は、毎日、部下の自衛官と接しているので、本人の事情を誰よりも良く知る事ができる。

  小生の聞くところによれば、別班所属当時の著者は、素行上、多分に問題があり、直属上司の指導を受けて依願退職した。そこで止むなく、新宿区内に住んで、野菜や洗剤等を自衛隊の知人や後輩を訪ねて売り歩き、糊口を凌いでいたので、諜報活動とは全く無縁であった。その後、政界、業界などとの人脈を広めながら営利事業の進展に努め、これに伴う体験を諜報活動の創作に利用したように思われる。


               荒唐無稽な自称秘密工作


  ハバロフスクには第2次大戦の終戦時に満州 ( 現中国東北部 ) 及び北朝鮮から、極東ロシアに連行されて強制労働中に殉職した旧日本軍将兵を埋葬する墓地がある。本書によれば、1963年に別班所属直後の著者は、米軍情報部の要請に応え、ハバロフスクの墓地の近傍に在るソ連軍航空基地の写真の入手に成功し、多大な成果を収めた。すなわち、遺族墓参団の随行者に頼んだ墓地周辺の写真の1枚に載る基地の映像が、ハバロフスクの地図の白い部分を詳細な地形図に変えるのに役立った言う事である。

     しかしながら、このような著者の不自然な主張を素直に信ずる事ができない。この頃までに米軍は、自衛隊の小細工に頼らなくても、自主的に極東ロシアの地図の作成と充実に努めていた。先ず、米軍CIC ( 陸上自衛隊調査隊のモデル ) は、ソ連各地の抑留先からの全帰国者と面接し、各人の収容所周辺の地形、航空基地、鉄道、道路、橋梁、等の位置、形状はもとより、警備兵の服装、装備まで微に入り、細に入り尋ねた。


     更に、1956年からCIAは、U−2偵察機を高空からソ連領空に不法侵犯させて、重要施設の精密な写真撮影を繰り返していた。これに対し、素人が墓地付近から撮ったとされる僅か1枚の水平写真では、恐らく目標の片鱗を捉えるだけで、価値の低い参考情報の域を出ない。


  著者は、埼玉県浦和市 ( 現さいたま市 ) に在る古谷元済南機関長 ( 戦後は内閣調査室要員 ) の自宅で、戦時中に日本軍のために働いた有名な男装の麗人スパイ、川島芳子を見掛けたと主張するが、その時期を明らかにしていない。

  1948年3月25日に、国民党当局により反逆者として処刑された彼女の生存説は絶える事がない。最近、中国と日本のメデイアは、彼女が終戦直後から1978年まで吉林省長春市で生存していたと言う地域住民の述懐を報道したが、確証に欠ける。思うに、著者の目撃証言も信憑性に乏しい風説の一つと見做されるであろう。

  1980年代以降、著者は、台湾当局の要請を受け、中国で兵器や軍事施設の盗撮、壁新聞の撮影、解放軍報の入手などの情報・諜報活動 ( 自称、工作 ) に従事したと主張している。ところが、台北経済文化代表処 ( 港区白金台 ) の知人によれば、 「 情報勤務経験が浅くて信頼度が薄く、中国語の能力も乏しい日本人を、わざわざ呼び寄せて、大陸の情報収集に使う事は有り得ない。台湾当局は、大陸で獲得容易な協力者と台湾人を使えば十分に事足りる。 」 と言う事である。

  実のところ、著者が収集したと主張する中国における情報活動とその中身には、幼稚な部分が多い。先ず、本書の199頁に載る北京の警備第3師団の武器庫の写真を見ると、米国製のM1騎銃 ( カ−ビン ) が弾倉を装着した状態で並んでいるが、それは信憑性に欠ける資料である。

  著者が訪中した1980年代には、ソ連製及び中国製のSKS騎銃とAK47突撃銃が中国軍の主力小火器であり、国共内戦当時、旧国民党軍から奪い、朝鮮戦争で使われた米国製兵器は消滅した。察するに、これは、在日米軍の武器庫内部の写真の転用ではないかと思われる。小生が、現役隊員時代には、米国供与のM1騎銃を武器庫に納める時には弾倉を外して銃架に立て掛ける方針であった。

  本書の217頁の写真には、台湾空軍の標識を付した米国製F−86F戦闘機が載っている。更に、その右翼の隣に米国製T−33ジェット練習機の左翼端が、僅かに見える。ところが著者は、これを、深川の見本市展示場のミグ戦闘機であると説明する。なお、その下の旧式戦車T−34の写真とも、中国各地に存在する典型的な軍事博物館の屋外展示場の景況であり、兵器見本市とは似ても似つかない。このような誤った情報提示の責任は、著者と編集者の双方にある。


     本来、地味な情報業務


  小生は現役時代に、本来、地味で息の長い情報業務の特色を、陸上自衛隊の 「 情報教範 」 から学び取った。今回の事例研究でも判るとおり、情報資料の分析作業には、当該主題に関する歴史などの地味な努力により積み上げた基礎知識なしに、適切な判断をする事ができない。これらの基礎知識は、殆ど公然情報資料から入手する事ができる。

  更に、東部方面調査隊長、松原重幹2佐 ( 中野学校出身 ) 始め人格識見の豊かな上司から、 「 情報活動の成果を決して自慢してはならない。妄りに口外すれば、自衛隊の内外に微妙な影響を与えるので注意しろ! 」 と厳しく指導を受けた。しかしながら、若い頃には、とかく目立ちたがり、隠忍自重と深慮遠謀に徹する持久戦略に耐え切れなかった自分自身を深く反省している。

  特に、外事・公安始め主要な情報組織が必ず手掛けている非公然活動ないし諜報活動とその実績は、長期間、秘匿するのが情報の原則である。したがって、真の情報員 ( 特に諜報活動の従事者 ) は、目の黒い間に手柄話を公言しないと言われている。したがって、諜報活動の経験のない著者なるが故に、読者に対し、自衛隊とその情報業務に多大な誤解を与える自由奔放な創作文を弄する事ができたのである。


               報道・出版のモラルの問題


  例え、低水準で、いかさまな中身の軍事又は情報関係の図書や雑誌の記事でも、裏面史の暴露、秘密戦、諜報、謀略など、大衆の興味を引くスローガンを掲げると、売れ行きが好調になる。したがって、一般大衆の軍事や情報に関する無知に乗ずる、このような戦術は、営業戦略の進展に利用される場合が多く、今回の自衛隊秘密諜報機関の図書も、その代表的な存在である。既に、幾つかの大衆からの書評では、幹部自衛官の思想動向の調査、ソ連領内航空基地の墓参団への撮影依頼など荒唐無稽な作り話を、すっかり信じ込んでいる。

  ところで、営利本位で、いかさま図書を軽易に出す営業戦略は、本来、一般国民に、真実を伝える使命を担う報道・出版のモラルが問われる問題である。大勢の国民はすべて無知ではなく、中には、虚構を見抜いて正論を叫ぶ幾人かの慧眼の士が存在するので注意しなければならない。


     1980年代に米陸軍大佐の著書を盗用した偽グリンベレ−大尉の虚構戦記、それに最近では、赤報隊、朝日新聞記者殺人事件の創作記事が載る週刊誌が大ヒットしたが、いずれも、社会から痛烈な批判を浴びて、関係者は収益では償えない高価な代償を支払わされている。


  それ以上に、一般国民に対し、誤った軍事知識と犯罪情報を与えた悪影響を無視する訳には行かず、その罪は深い。今回、出た売れ行きが良い情報関係図書も報道と出版のモラルを再考する好個の材料を与えている。■