アジアの歴史と現実を正しく把握し、日本との関わりを考えようとする意欲のある市民の集い。

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室


読書室 平成19.2.1



開 題

伊原吉之助


「読書室」を開くことになりました。

平成12年 (2000年) の定年退職以来、現代史の見直しを志して、現役時代以上にいろんな本を読んできました。内容のある良い書物を読む度に、これを皆さんにもっと広く紹介したいと思ってきました。今回、岡本さんから、「読書室」を開設して皆さんに読んだ本の紹介をしてほしい」と依頼され、渡りに舟と引受けました。


書評で学ぶ

私は若いときから、「書評」で学び、文章を磨いてきました。

書評は、「紹介」部分と「評価」部分とから成ります。紹介では、自分の価値観や判断とは別に、著者が何を言いたいか、何を明らかにしたか、何を主張しているかを忠実に紹介せねばなりません。評者の理解力 (学識) と判断力 (重点がどこにあるかの判断力) が問われます。知識が不足なら、にわか勉強も必要です。

「評価」では、著者と同等かそれ以上の学力が問われます。何しろ一冊の本を書くだけの力量ある人の著作を「評価」しようというのですから、青二才のこちらは、背伸びせねばなりません。無い智慧を振り絞り、著者と同等か、それ以上かの「振り」をします。


文章修行

最後に「書く」作業がきます。紹介をたっぷりしたい、評価も、自分の判断根拠を詳しく述べたい。ところが書評に与えられたスペースは通常短い。一頁か精々二頁です。書きたいことが山ほどあるのに、スペースはない。そこで文章を削りに削ることになります。

私はこの「削る」作業で自分の文章を鍛えました。


この経験からして、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の饒舌について行けなくなりました。

 「さて──」で改行していたり、「余談だが、」とおしゃべりしたり。こちらは一字一句に精根を籠めて、いかに短く表現するかに腐心しているのに、文豪は書きさえすれば高い原稿料が貰える。水増しだ、権力者の奢りだと思いました。


私が歴史家型であって理論型でないこと、従って根拠を並べて諄々と説きたいのに紙数がない、ということもあって、以後、私は一定のスペース内にいかに多くのことを詰め込むかを考えながら書くようになりました。

例えば、昨年12月4日の『産經新聞』に載せた拙稿「真珠湾への道(4)衝突不可避へ7つの契機」は、他の執筆者よりずっと多くの事実が詰っています。あれは、書評で鍛えた文章術の成果です。


書評以外も載せます

本は二度読めと言われます。一度目は通読、二度目は見返し。見返しておかないと、何が書いてあったかがうろ覚えのままになります。

でも実は、二度だけでは足りません。人に内容を紹介しておかないと、しっかり内容をわがものにできないのです。つまり、読んだ本を人に紹介する作業は、読んだ本の内容を「使えるようにする」ための必須の作業なのです。

そういう訳で、自分の勉強のためにも、この読書室への書込を続けるつもりです。


私は自分のホームページを持っていないので、書評以外の文章もここへ掲載するつもりです。

どうぞよろしく!


平成19年2月1日