サブプライム〜アメリカを笑え!!(3)

> コラム > 小林路義教授のアジア文明論


サブプライム〜アメリカを笑え!!(3)

─ 偽りの夜明け;アメリカの楽観主義


  日銀の白川方明(まさあき)総裁の用語「偽りの夜明け」から思い立って,「偽りの夜明け;アメリカの楽観主義」という言葉を思いついたのは,昨年(平成21年)の7月下旬〜8月上旬の頃だった.そこで様子を見ながら,これについて書こうと思っていたのだが,ニューヨークの株価も世界の株価も殆ど後ずさりすることなく,単調に上っていくものだから,益々そうだと思い乍ら,いつ書いてもよいと思っているうちに時間が経ってしまった.


  ニューヨークの株価も,またそれにつられて世界中の株価が,平成21年3月中旬を底に,ドバイ・ショックも(平成21年11月25日)ものともせず,大筋で今年(平成22年)の年初までほぼ一本調子で上っていったのには,それなりの理由があるといっても,その基底には「偽りの夜明け」という通奏低音が流れていたということを,誰も言わなかったが,私はずーと感じとっていた.


  本来なら,年初にギリシャ財政危機が顕在化し,2月18日にFRB(米連邦準備理事会)が公定歩合を.50%から0.75%に上げ(といっても,これが出口戦略<金融政策を非常時から通常に戻す政策>の開始ではないことを随分強調していたが),また中国人民銀行が1月12日に「1月18日付で市中銀行の預金準備率を0.5%引上げる」と発表,更に春節直前の2月12日には「2月25日付で更に0.5%引上げる」と発表したところで,「順調な回復基調」の転換点になってもよかった筈だが,4月に入って尚,世界中の多くの株価が高値をつけたのは,回復基調に酔いすぎた余韻だったのだろう.


  だから,3〜4月の株価上昇は付け足しとして,昨年3月下旬から年初の株高までを,「(リーマンショックからの)回復第一期」として区切っておきたい.その方が後々解りやすいと思うからである.


  先に進む前に「偽りの夜明け」の説明をしておきたい.私に言いたいことがあるからである.私がこの言葉を知ったのは,昨年6月の経済週刊誌だが,白川方明総裁がこの用語を使ったのは,平成21年4月23日のジャパン・ソサエティNYの英語の講演においてである.氏は「バブルが崩壊した後にも,通常の不況期のように,一時的な回復局面が何度か現れるが,それを本格的な景気回復と見誤ってはならない」と注意を促し,その一時的な回復局面を「偽りの夜明け」(False Dawn)と述べたのである.


  私は唯「偽りの夜明け」という言葉が気に入っただけで,無理に原文に当る必要はなかったのだが,今回このコラムを書くに当って,講演の本文を読んでみた(日銀のHPに原文と翻訳が掲載されている).読んでみると,内容・指針共になかなか格調高い講演であり,またサブプライム・バブルの本場,ニューヨークでの講演というのもいい.


  但し,結論を先にいうと折角の内容なのに,その後アメリカも,金融関係者もこの話のことは馬耳東風,何の刺激にもならなかった.昨年3月以後の「回復」が前半は金融の面で,後半は企業業績の面で,余りに調子がよかったからである.実際,後者の企業業績は今年の3月決算がL字回復ではなく,ともかくもV字回復になったことは事実で,それを読込んだのが4月の株高だった.


  そうではあるが,「回復第一期」の通奏低音に「偽りの夜明け」という響きがなかった訳ではない.5月に入って,1〜4月に無視していたギリシャの財政危機によるEUの矛盾とオバマ政権のゴールドマン・サックス提訴による株価下落が実現したから,それみたことかということではない.この5月の世界的株価下落も,すぐに二番底を目指すということはなく,再び「偽りの夜明け」で「回復」するだろうからである(理由は後述).


  一昨年のリーマン・ショックをもう一度思い出して貰いたい.あの大バブルの崩壊が簡単に終了する筈がないではないか.大バブルの崩壊の後には何度もの「偽りの夜明け」が伴うのは当然なのである.但し,それが実感として解るのは今,「失われた十年(二十年?)」の日本人しかいないのである.だから,白川氏の発言は貴重なのである.


  で,私が言いたいことは何かというと,それは今世界の中で日本人しか実感できないのだから,氏の発言を,特にその「偽りの夜明け」という造語をもっと評価して,その評価を世界に向けて押出せということなのである.


  ところが,日本人は日本人の言説には唯ひたすら過小評価するか無視して顧みない.実に情けない性癖である.なるほどエコノミストは皆てんでんばらばらに日銀を批判して已まないのだから,白川氏の発言を評価することはあり得ないことになるが,エコノミストと日銀の当事者との間には大きな違いがある.それは責任の自覚,覚悟である.エコノミストはその言説に一貫性は必要だが,責任をとる必要はない.それに対して,日銀の当事者は常に責任を意識せざるを得ない.


  勿論,白川氏の講演が特に優れている訳ではないだろうが,その話に重みがあるとすれば,日本が経験せざるを得なかった「バブル崩壊」の経験の重みである.少なくともそれだけはしっかり反映されている.その当事者としての経験から思わず,「偽りの夜明け」という造語が出てきたのだろうが,他のことはどうでもよい,この一言だけで評価に値する.


  もう一度繰り返す.バブル崩壊の四苦八苦を実感できるのは,今日本人だけである.従って,「偽りの夜明け」をもっと評価して,その評価を世界に向けて押出すべきである.今ちょっと(世界的に)株価下落があって,先進国にも新興国にも途惑いがみられるが,どうせすぐに「偽りの回復」をすぐに取り戻すだろう.そのとき,それは「偽りの夜明け」だよと,大バブルの崩壊をミニバブルで回復してきたアメリカややみくもに「保八」に狂奔してきた中国に言ったらよい.


《 お便り 》

    このまま続けていくと,一篇が余りに長くなるので,後は稿を改めて述べることにしたい.従って,標題の「アメリカの楽観主義」についてはまだ何も述べていないし,「回復第一期」に対する見解も,まだ述べていないが,標題はそのままにしておく.


    2月に再掲論攷を載せてからも,また掲載間隔が空いてしまって,大変恐縮している.同じ経済を論じても私はエコノミストではないので,当然ながらエコノミストが言わないことを,或いは言えないことを書こうと思っていて,モデルにすべきものがないので,試行錯誤を繰り返していること,またこのようなWebコラムではどのような記載方法がよいかもまだ迷っているところがある(次は自分で計算した表を載せるので,楽しみに).


    尚,アジア文明論と名付けながら,無関係とは言わないが,今のところそれらしき感じがしないというご意見もあろうかと思う.この問題を片付けたら,述べたいことは山ほどあるので,いずれはコラムの名称も納得して貰える時がくる筈である.1〜2年と言わず,5年以上の長さで見守っていて戴きたい.